2009-01-01から1年間の記事一覧

聖霊は自由

六甲教会説教の箇条書き。聖霊降臨、2009年 イエス様は特別な挨拶の仕方をされていました。今日はイエスが神戸に現われて人に挨拶したら叱られるでしょう。その挨拶は人に息を吹きかけるのです。そんなことをされたら、「インフルエンザ対策で息を吹きかけて…

 12歳の大人と50歳の子ども (マルコ5、21-43)

福音書講座ノート3現代社会に響きあうイエスの福音ー聖書の読み方にもとづいた信仰と社会への視点― 聖書をはじめて読む方は、奇跡物語などに戸惑うことがある。よみがえりなどの話が出ると、そうである。しかし、字面通りの読み方にこだわらずに、ちょっと視…

昇天の主日・『白と闇』・インフルエンザ騒ぎ

この前、復活徹夜際を祝い、私たちは復活の蝋燭を点しました。「キリストの光り」をあらわす蝋燭です。そして今日の昇天の主日まで、ミサの間この蝋燭を点してきました。今日は、イエスと弟たちのお別れを思い出して復活の蝋燭を消します。しかし、イエスが居…

生命といのちの講座ープログラムー

『生命といのちの講座』主催:ザビエル アカデミア 会場:六甲教会(神戸)第1・2会議室 時間:第3土曜日、10:30-12:004月:『生命といのち』(生命科学と生命倫理) 5月:『いのちの重み』(犯罪、償いとゆるし) 6月:「いのちのかがやきー誕生―」(生…

インフルエンザ過剰反応に惑わされないように

六甲教会の閉鎖を嘆き、恥ずかしく思う この一週間のあいだ、教会が閉鎖していたことが悲しいことで、理解に苦しむ。 店も映画館もあいていた。電車も走っていた。しかし、教会の前を通ると、鉄の門まで閉めてあった。なんと情けないこと。 「ミサの義務は免…

福音と社会ー講座箇条書きー  マルコ 5、24−34

イエスは血に対するタブーを否定する マルコ福音書、5章24−34の話は、いわゆる「奇跡物語」として受け止めたくない。イエスは出血病に悩んでいたあの女性を奇跡的に癒したのではない。この話しはむしろ社会批判と宗教批判として読める。 「そこでイエスは彼…

福音と社会ー講座箇条書きー

現代社会に響きあうイエスの福音 ー聖書の読み方にもとづいた信仰と社会への視点― 福音によって教会のあり方が問いかけられる マルコ 12、41−44 ルカ 21,1−4 「貧しいやもめの献金」A.前置き:福音書についての四種類の読み方1.一般読者向けの読み方 (…

真のいのち

六甲教会説教箇条書き、復活節4主日、09−05−03 「今すでに神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となることを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです」(1ヨハ…

解放的な信仰の持ち方

聖書の言葉で平和と正義を語ろう 聖書はラジカルですが、ラジカルな聖書の読み方によって教会のあり方が問いかけられ、変革させられるようにお祈りしたいと思います。 では、正義と平和について聖書の言葉で黙想しましょう。 神が望まれる世の中、神が支配す…

復活際は、花祭り。復活は、新生

イエスの復活こそ、新生 私の書斎は南側の庭に面しているが、一本の桜の木が窓の真ん前に立っている。十二月、秋が終りに近づくにつれて葉が落ち、枯れた枝は冬を知らせる。冬至のころに、落ちていない葉は六枚しか残らなかった。無理してでも生き残りたかっ…

六甲教会説教箇条書き、枝の主日

イエスは、馬に乗らず雌ロバ乗って都の入られる イエスとともにエルサレムへのぼる一行がいよいよ神殿あたりに近づきます。これは大げさなパレードではありません。立派な服装をして馬に乗って入城するローマの大将の華やかな行列ではありません。イエスは格…

コンドームとエイズ予防

問題を引き起こした教皇発言 3月21日の読売新聞(7ページ)によると、「アフリカを訪問中のローマ法王が、『コンドームはエイズ予防に役立つどころか、かえって問題を増幅させる』と発言し、...エイズ対策に取り組む国際機関などから強い反発を呼んでいる…

イエスと既成宗教制度との対立

六甲教会、説教箇条書き、 四旬節3主日、09−03−15、 ヨハネ 2,13-22 生前のイエスまで遡ればこの箇所の背後にある史的事実はどんなものだったのだろうか探ってみよう。そして、この福音書が書かれた背景にある当時の教会の状況などを念頭においておこう。 …

尊厳死

数回にわたって、過剰医療のうちきりと尊厳のある死の迎え方についてのべてきたが、前述のような良い逝き方を望んでも、家庭の介護力が低下するなど、在宅で看取りは難しいということも指摘されている。そうかと言って、何もかも施設任せでは足りない。そこ…

過剰医療打ち切り(つづく)

場合によっては治療停止と延命中止の判断を下さなければならない。そのとき、前回述べたように、生命の尊さを念頭におきながら健康状態の質と回復の見込みに関する予後(prognosis)を考慮に入れたうえで、患者を一番大切にすることとつながる決定を責任をも…

過剰医療の拒否

延命とは文字通り「命を長引かせる」ことである。 現代の医療は著しく発達し、人為的な手段によって患者の命を長引かせることが相当可能になってきた。ところが、どんな場合でも、無理してでも延命をはかるべきかどうかについては議論が分かれる。なぜかとい…

経管栄養と延命(つづく、3)

経管栄養と延命(つづく、4) 論争を巻き起こした教皇演説 2003年の三月に教皇ヨハネ・パウロ2世行った演説は大きな論争を引き起こした。その演説の直接の宛先はバチカン・生命アカデミーと世界医師会連盟であった。演説の前半は患者の尊厳を強調し、…

 ワインと過剰医療

経管栄養と延命 (2) グラス・ワインをやめるのも飲むのも過剰医療になりうる 人は過剰医療という言葉を聞くと、複雑な機器とか、莫大な治療費がかかるなどと考えがちであるが、必ずしもそうではない。16世紀、カトリック倫理学者のヴィトリア(Vitoria 14…

経管栄養と延命 (1)

最近、ヨーロッパの新聞をにぎわしているエルアナさんの延命中止を評価したい。平安のうちに死を迎えることが出来てありがたい。残念ながらそのような尊厳死は「安楽殺人事件」とみなしてしまった数名のカトリック枢機卿と司教たちがいる。 その意見は倫理理…

安楽死とカトリック教会の公式見解

安楽殺人、安楽死、尊厳死 前回の記事について多くの質問をメールで受けたので、手短にわかりやすく述べて誤解を避けたい。 次の三つの異なったことを区別する必要がある。 1)安楽殺人事件mercy killing)、 2)法的にある国で認められている安楽死、(lega…

尊厳死は安楽殺人事件とは違う

六甲教会、説教箇条書き、09−02−08、年間第5主日、マルコ1,29−39 今日の福音には病人を癒すイエスの慈しみが述べられている。福音を伝える教会は病人の世話に関わる伝統をもっている。治療したり、苦痛緩和したり、死を迎える者に寄り添ったりすることは、…

「復活」とは「真・活」(真に生きること)である。

六甲教会、聖書研究会箇条書き、ヨハネ11章について(一年間分のまとめ、2009年2月2日)。1. 前回の復習 ラザロの「蘇りの話」は史実の記録ではなく、象徴的な物語を通して信仰を表すものであり、「史実の記録」や「事実の情報」よりも、「信仰の現実」に触…

イエスの型破り、型破りのイエス

六甲教会、説教箇条書き、年間4主日、09−02−01 マルコ福音書(1,21−28)には癒しの話しが述べられています。登場人物は「悪霊に取り付かれた」と言われた人です。イエスは彼を癒し、その病から解き放つのです。マルコの書き方は一見して奇跡物語や悪魔払い…

死刑廃止をもとめるカトリック

2009年1月29日法務大臣 森 英介 殿日本カトリック正義と平和協議会 死刑廃止をもとめる部会 部会長 ホアン・マシア 日本カトリック正義と平和協議会死刑廃止をもとめる部会は、佐藤哲也さん(旧姓野村、39歳、名古屋拘置所)、川村幸也さん(44歳、名古屋拘…

「死刑を止めよ」宗教者ネットワーク

法務大臣 森 英介 殿「死刑を止めよう」宗教者ネットワークは、佐藤哲也さん(旧姓野村、名古屋拘置所)、川村幸也さん(名古屋拘置所)、西本正二郎さん(32歳、東京拘置所)、牧野正さん(58歳、福岡拘置所)に対する死刑執行に強く抗議します。 私たち「…

人間あいての漁師、人間を生け捕る漁師

六甲教会説教箇条書き、 09−01−25 マルコ1,17 海岸の近いところに漁師たちが小さな船でつりをしていたが、その日たまたま魚が取れなくてこまっていた。「今日は、なかなか引っかからないなあ」と一人の漁師が言った。そろそろ帰ろうかと思っていたところ「…

六甲教会、聖書研究箇条書き、2009年1月19日

ヨハネ11、1−54 ラザロの生き返り ラザロの生き返りの話は史実の記録ではなく、象徴的な物語を通して信仰を表すものであり、「史実の記録」や「事実の情報」よりも「信仰の現実」に触れさせる話です。 イエスは奇跡的にラザロを蘇らせたのではありませ…

起きて、とこを担いで歩け

この福音(マルコ2、9)の言葉は、新年会を開く1月16日の集いに持って来いの呼びかけに思われます。 動きがとれない状態から教会が起き上がるように。 内向きや無関心の状態から目覚めるように。 社会の中で苦しい状況や弱い立場に追いやられている人々の痛…

どの人もどの教会もキリストを独占すべきではない

六甲教会、説教の箇条書き 2009・1月・18日 教会一致 ヨハネの二人の弟子はイエスに従った 「二人の弟子(洗者ヨハネの弟子)はヨハネの話しを聞いてイエスに従った」。(Jn 1,37)。 日本の教会は「神父中心」になりすぎています。しかし、教会は「神父を…

教会内の貧富の差

六甲教会、説教の箇条書き、2009年1月11日 今日の第一朗読ではイザヤ預言者は神にこう言わせている。「銀をもたないものも来るがよい」。 私はこの言葉を読んで考えさせられた。 大阪教区のなかでは、お金のない人が来ても良い小教区もあれば、敷居が高くて…