2012-01-01から1年間の記事一覧

多様性と対話の精神 Humor y Evangelio en el Año de la fe (7)

Humor y Evangelio en el Año de la fe (7) 多様性と対話の精神教会史の授業でうたた寝をしていた神学性がショッキングな先生の野話に一遍に眠気がふっとんでしまった。トリエント公会議では司教たちが意見の相違から、互いに相手のあごひげを引っ張り合って…

公会議の名言 Humor y Evangelio en el Año de la Fe (6)

公会議の名言Humor y Evangelio en el Año de la Fe (6)忘れられがちな名言をおもいおこしましょう。 「現代野喜びと希望、悲しみと苦しみ、とくにまずしい人々、苦しんでいう人々の苦労は、キリストに従う人々野喜びと希望、悲しみと苦しみでもある。新に人…

型破りの教皇たち El papa rompe esquemas. Humor y Evangelio en el Año de la Fe (5)

型破りの教皇たち El papa rompe esquemas. Humor y Evangelio en el Año de la Fe (5)カトリック教会にとって新しい時代の幕あけをもたらしたのはヨハネ23世だった(在位:1958年10月28日-1963年6月3日)。第ニバチカン公会議の途中で彼の聖火を受け継ぎ、…

水戸黄門になりたかったパパ様 Humor y Evangelio en el Año de la Fe (4): El Papa de incógnito

水戸黄門になりたかったパパ様 Humor y Evangelio en el Año de la Fe (4): El Papa de incógnito 「大変だ、教皇様が見えなくなた。誘拐事件かもしれない」。バチカンの護衛官たちはあわてた。「書斎にも、謁見室も、どこにもいらしゃらない」。その時、白…

競技場で大喜び Humor y Evangelio en el Año de la Fe (3)

南欧では、自転車ロードレースの人気が高い。スペインチームが教皇ヨハネ・パウロ2世にサイクリングの自転車を賜った。そのニュースを報道した毎日新聞(1985年6月13日)には、贈られた自転車を手にして楽しそうな教皇の写真が載っており、ユーモアのある小…

Cleaning up at the Vatican 星座にハタキをかける

Humor y Evangelio en el Año de la Fe (2) ヨハネ23世は、教皇が一人で食事をするという習慣を廃止した。一人ではさびしくて、おいしくない。ベネチアの枢機卿だったころ、彼におみやげを贈りたいと言った人に、項答えた。「この水の都では、どこを見ても水…

Humor y Evangelio en el Año de la Fe.(1)信仰年に福音で微笑む:ローマこぼれ話

Humor y Evangelio en el Año de la Fe.信仰年に福音で微笑む:ローマこぼれ話笑うことを教えてくれた教皇早起きのヨハネ23世の午前中は、スケジュールがつまって多忙であった。----ラジオ・メッセージ一つ、個人謁見八名、諸団体謁見二つ、昼のアンジェラス…

なぜ教会は社会問題にかかわるのか

Social commitment of the Church. Why? Obviously, because of the Gospel!!!『なぜ教会は社会問題にかかわるのか』。この質問は教会の外部から投げかけられることもあります。「なぜあなたがたキリスト者たちは社会問題にかかわるのか」。 答えは一言で言…

慈しみこそ平和の秘訣ーカトリック『正義と平和』2012年大会に向かって、『義と和』(シャロンム)の原点を探るー Justice and Peace

慈しみこそ平和の秘訣カトリック『正義と平和』2012年大会に向かって『義と和』(シャロンム)の原点を探るカトリック教会の儀式に参加する方は「平和の挨拶をかわしましょう」と司式者から呼びかけられます。その呼びかけに答えて会衆のひとりひとりが互い…

ESPÍRITU CREADOR Y RECREADOR (Rom 8,11).復活は聖霊による新活です。

ESPÍRITU CREADOR Y RECREADOR (Rom 8,11).復活は聖霊による新活です。 誕生は聖霊による創造。 死と復活は再創造。 復活は「新・真・信・活」です。「父と子と聖霊」と言われますが、私たちはむしろその逆の順序で神に至ります。すなわち、聖霊によってキリ…

Fuente, Camino y Brisa. Padre, Hijo yEspíritu 「泉・道・風」「父・子・聖霊」

「泉・道・風」「父・子・聖霊」カトリック教会の祈りのはじめに、十字架を切るしるしをしながら、「父と子と聖霊のみ名によって、アーメン」と唱えます。そして祈りの終りに、「栄光は父と子と聖霊に。初めのように今もいつも世々に。アーメン」と言います…

Repensar la teología pneumatológicamente 聖霊への信仰をみなおす

Repensar la teología pneumatológicamente聖霊降臨をみなおす イエス様の挨拶の仕方は珍しいですねえ。弟子たちの上に息を吹きかけるのです。ご自分の息、息吹をふきかけて聖霊を与えるのです。 わたしたちは、信仰を宣言するとき、「聖霊(神の息吹)を信…

Ascensión al cielo: extensión al universo 天に昇り、すべてを満たす。

Ascensión al cielo: extensión al universo天に昇り、すべてを満たす。「天の登った」という象徴的な表現によってイエスは今尚生きておられることが表されています。「天に昇った」というのは雲の上にいると言う意味ではありません。死んで永遠の命に入った…

Descargar libros (Juan Masiá)

ホアンマシアの本・ダウンロード LIBROS DE JUAN MASIÁ EN BUBOK DESCARGA GRATIS http://jmasia.bubok.es Puentes de comprensión- Leyendo a P. RicoeurSexualidad y ÉticaLucidez cordialEscuchar al Dharma y vivir en el EspírituQuiebra o reconversió…

Ser cura no es un empleo (cf. Jn 10, 12). 私はほんものの羊飼いである(Jn 10,11).

Ser cura no es un empleo (cf. Jn 10, 12). 私はほんものの羊飼いである(Jn 10,11)イエスは「よき牧者」と自称するが、「雇われ人」ではないことを強調する。雇われ人とは違って「羊たちのために身を投げ出す」兄弟として群れを導くのである。この福音が…

REDES DE ENERGÍA Lc 24,49 聖霊のインターネット

Redes de energía Lc 24,49 聖霊のインターネット 復活後第三主日ルカ24章の中ほどにエンマウスの場面がありますが、これを更に三つの場面に分けることができます。すなわち13節〜28節(イエスと旅人との対話)、29節〜32節(バンの分かち合い)、33節から35…

復活祭 Resucitar no es revivir, sino vivir en Dios

復活際 まず、「三日目によみがえった」という表現にこだわらないように。三日間が経ったのではなく、「決定的に永遠の命に入った」という意味です(ホセア6,2)。 そして「復活した」という言葉も「この世のいのちに生き返った」というふうに受け止めないよ…

Marzo,25, Anunciación-Encarnación お告げ

3月25日「マリアへのお告げ」マタイ福音書とルカ福音書におけるイエスの誕生物語は史的事実でもなければ、子供向けのおとぎばなしでもありません。それは信仰の立場からの創作です。その物語をとおしてイエスとは誰であるのか、そして神はどのように現れ、ど…

Vivificados, vivificarnos (Jn 3,1-21) 生かされて生き、生かし合う

Vivificados, vivificarnos (Jn 3,1-21)生かされて生き、生かし合う 四旬節3主日(ヨハネ3,1−21) ニ コデモは善意から律法を重んじ、律法の光がいのちをもたらすと思っていたのかもしれないが、イエスの側から見ると、律法の光がいのちをもたらすのではなく…

Destruid este templo (Jn 2,19) この聖所をこわしなさい。

四旬節第3主日 ヨハネ2,19は4、24との関連で読もう イエスは物を売っていた商人たちを神殿から追い払う。それは神殿の公式な宗教とイエスがもたらす宗教との間に相いれない関係があることを表わしている。神殿中心の宗教には、宗教界と政界と経済界の支配階…

SIESTA EN EL TABOR タボル山での昼寝,マルコ9、2−10

SIESTA EN EL TABOR タボル山での昼寝マルコ9、2−10(ゲッセマネでのイエスの祈り、ご受難の前に苦悩するイエス、イエスの迷い、居眠りする弟子たち)とマルコ14、32−42 (タボル山でのイエスのご変容、復活の前触れ、天の声からアイデンティティを与えられ…

Sin temer ni controlar, entre fieras y ángeles (Mc 1,12) 獣と天使と仲良くして…

マルコ1,12 では野生動物と御使いに囲まれているイエスの姿が象徴的にえがかれている。 「野のけものと一緒におり、御使いたちがイエスに仕えていた」と。 この場面はいざや116-9を連想させる。「狼は子羊とともに宿る…」。 天と地と人間の調和… あり…

!Pueblo paralítico, ponte en pie! 動きが取れない民衆よ、立ち上がれ!(Mc 2,1-12 )

!Pueblo paralítico, ponte en pie! 動きが取れない民衆よ、立ち上がれ!(Mc 2,1-12 ) 体の麻痺した人は動きが取れない状況に追い詰められている民衆の象徴である。 マルコ2 ,1-12 に登場する病人は、Jn5,1 – 15 の登場人物と同じように、二つの問題がある…

Mancha no es impureza. 「よごれ」は「穢れ」ではない( Mc 1, 39 ).

Mancha no es impureza「よごれ」は「穢れ」ではない(Mc 1, 39 ).「お力で清めてください」と皮膚病をわずらっている一人の人がイエスに願った。(マルコ1、39−45、年間第六主日)『あなたは清められる必要がない。あなたはけがれていない。あなたは清い者で…

Pescar personas人間あいての漁師にしよう(Mc1,17)

Pescar personas人間あいての漁師にしよう(Mc1,17) 海の中で溺れそうな人を助けて海の中から彼を救い出さなければならない。 泳げる人なら救い出す必要がない。自分で外へ出るから。 人間あいての漁師というのは人間を救い出すことです。魚のように海の中で…

EPIFANÍA: DE OPACIDAD A TRANSPARENCIA(Mc1,9-11).ご公現、イエスの洗礼

イエスはヨハネからヨルダン川に身をしずめてもらった。。。水のなかから立ち上がると、天から声がした。『おまえは私の大切なむすこ』。。。(マルコ1,10−11)。 川に身を沈めることは表面的な自我から出て(脱我)自己の存在の根源に没入することであり、…