Ser cura no es un empleo (cf. Jn 10, 12). 私はほんものの羊飼いである(Jn 10,11).

Ser cura no es un empleo (cf. Jn 10, 12). 私はほんものの羊飼いである(Jn 10,11)

エスは「よき牧者」と自称するが、「雇われ人」ではないことを強調する。

雇われ人とは違って「羊たちのために身を投げ出す」兄弟として群れを導くのである。

この福音が読まれるときエゼキエル書の34章の朗読と合わせるとよい。この預言者の言葉で「悪い牧者」、悪い指導者がいみじくも描かれて批判されている。

教会の中での指導の役割はイエスが示した「兄弟・姉妹なる牧者」として行われればよいのですが、…

ある主任司祭やある信徒会長は会社の社長であるかのようににふるまってしまいます。

ある教会の委員会員は「官僚の役人であるかのようにふるまってしまいます。

しかし教会の中のすべての役割はministeriaすなわち「奉仕者のつとめ」です。

教会の中で指導する役割を果たすものは「長上」でもなく、「親分」でもなく、「父」でもなく、「兄弟-姉妹」です。

Ser cura no es un empleo.

El ministerio pastoral no es (¡no debe ser!) un cargo, sino un encargo al servicio de la comunidad.

Ser elegido obispo no es ascender en la carrera eclesiástica.

Cuando Jesús dice “Soy el buen pastor” (Jn 10,11) lo aclara insistiendo: “No soy un asalariado” (Jn 10, 12).

Este domingo, en armonía con el evangelio según Juan (cap. 10) deberíamos usar como primera lectura el capítulo 34 del profeta Ezequiel, donde se describe lo que no deben ser los pastores.

Es un lastre histórico llamar “padre”, “monseñor” o “santidad” a curas, obispos y papas. Deberíamos poder llamarles hermanos... y ojalá llegue un día en que también sean hermanas.