死刑執行停止をもとめる『カトリック正義と平は』

日本カトリック正義と平和協議会死刑廃止を求める部会 部会長 ホアン・マシア神父 10月10日の「世界死刑廃止デー」にあたり死刑執行停止を求めます 私たち日本カトリック正義と平和協議会「死刑廃止を求める部会」は、先月発足した菅義偉内閣において、第104…

法務大臣河井 克行 様 に死刑執行停止を求めます

第101代 Prot. JP 19-○○ 2019年10月10日 日本カトリック正義と平和協議会 「死刑廃止を求める部会」 部会長 ホアン・マシア神父 10月10日の「世界死刑廃止デー」にあたり死刑執行停止を求めます 私たち日本カトリック正義と平和協議会「死刑廃止を求める部会…

Pope Francis Gaudete et exultate教皇フランシスコ 喜びなさい 聖性について

フランシスコ教皇著 使徒的勧告 『喜びに喜べ』(多国語の要約)(E.スペイン語EXHORTACIÓN APOSTÓLICA GAUDETE ET EXSULTATE DEL SANTO PADRE FRANCISCO(J.日本語)現代世界における聖性への呼びかけ(E.)SOBRE EL LLAMADO A LA SANTIDAD EN EL MUNDO ACT…

教皇フランシスコ『愛の喜び』Amoris laetitia,4章結婚と家族内の愛.116-119

希望116.すべてを希望する(panta elpizei、,パンタ・エルピゼイ)とは未来に対して絶望しないことです。相手にはいつも変わる可能性があると知っている者はあくまでも相手が成熟し、おもいがけないうつくしさが芽生え、隠れていたよい種が成長するのを希望…

教皇フランシスコ『愛の喜び』Amoris laetitia,4章結婚と家族内の愛.114-115

信頼114.すべてを信じる、panta pisteuei パンタ ピステウエイというのはすべてにおいて信頼するということです。ただ単に相手はうそをついていないかと疑わないだけのことではなく、もっと基本的な信頼のことです。基本的な信頼は神が相手のこころの中につ…

教皇フランシスコ『愛の喜び』Amoris laetitia,4章結婚と家族内の愛.109-113

喜ぶ人とともに喜ぶ109.<愛は不正を喜ばない>と訳されているoú hairei epí ta adikía, (ウ・ハイレイ・エピ・タ・アディキア)はこころの内部に隠れている悪さの根を指しています。それは毒とも呼べる恨みであり、悪事や不正の被害者になっている人の痛…

教皇フランシスコ『愛の喜び』Amoris laetitia,4章結婚と家族内の愛.103-108

心の内部に暴力をなくそう103.(愛は怒らず〉と訳されているparoxinétai (パロシネタイ)というのは心の中で抱かれる憤慨を抑えることを指しています。言葉や表情などで表現するのを抑えても、心の中で強い反感を感じているからわたしたちは相手に対して警…

教皇フランシスコ『愛の喜び』Amoris laetitia,4章結婚と家族内の愛.99-102

愛され易い者、親切な者 99. 愛することは愛されやすい者になることでもあると言えます。「愛は礼を失わないし」〔または「親しき仲にも礼儀あり」と訳されうる)asjemonéi という言葉に留意したい。愛する者はずけずけと干渉しない、失礼なことをしない、硬…

教皇フランシスコ『愛の喜び』Amoris laetitia,4章結婚と家族内の愛.97-98

自慢せず、高ぶらず97. 自慢する者は他の人より自分が誇ることができ、高ぶって人が圧倒されるようにします。愛する者はあまり自分について語らないし、相手を中心にして自分を中心にしないのです。なお、愛は高ぶらず というと、愛は傲慢でないということで…

教皇フランシスコ『愛の喜び』Amoris laetitia第4章 結婚生活における愛(つづく)nn. 93-96

人によいことをし、お役に立つように気が利く態度 93. 人に良いことをするすなわち jrestéuetai という言葉遣いはこの箇所にかぎってめずらしいです。Jrestósという形容詞から従来する動詞です。jrestós とは善良な人を指すのですが、良い行いをもって自分の…

教皇フランシスコ著『愛の喜び』 第4章結婚生活における愛(つづく)nn. 91-92 

忍耐が伴う寛容91. まず一番はじめに13、3節で注目される基調の言葉は「善良な寛容または忍耐」と訳されるギリシャ語のmakro-thymía すなわち「こころの広さ、腹の太さ」という語です。「すべてを耐え忍ぶ」ことだと訳せば、十分にその意味が伝わらないでし…

教皇フランシスコ著『愛の喜び』Amoris laetitia(意訳・要約)89−90番

教皇フランシスコ著、使徒的勧告『愛の喜び』 第4章 結婚生活における愛89. 結婚と家族〔における慈愛〕という福音を語るためには、ここまで〔本文書の第1.2.3章で〕述べたことだけでは、ものたりないでしょう。ここまで聖書に基づいた考察(第1章)、…

「聖霊と処女と名付け親」か、それとも「どの子どもも聖霊によって生まれるのか?

今日は待降節の第4主日です。 今日のミサの中心ポイントは「この子をイエスと名付けなさい、エンマヌエルと名づけなさい」というテーマです。 クリスマスの季節において、わたしたちは祝いのカードを見て、マリア、ヨセフ、幼子イエス、聖家族の姿になじみ…

教皇フランシスコ『愛の喜び』8章試訳307−312

司牧の場で適応される慈悲の道理 307. 誤解がないようにことわっておきたいのだが、教会が神の偉大な計画である結婚に関する理想を提言しつづけるべきである。「若い信者たちは、婚姻の秘跡が彼らの愛の人生計画に与える豊かさを前にして、ためらうことがな…

教皇フランシスコ『愛の喜び』Amoris Laetitia 8章304・306

教皇フランシスコ『愛の喜び』Amoris Laetitia 8章304・306ノルマと識別304. 人の行為は一般的なノルマや規律に叶っているかどうかを検討するだけではその人の具体的な実存においてその人が神に忠実であるかどうかを識別するためには足りない。トマス・アク…

教皇フランシスコ『愛の喜び』 8章  301−303 司牧上の識

教皇フランシスコ『愛の喜び』 8章 301−303 司牧上の識別 司牧上の識別における情状配慮301. 変則と呼ばれている状況において特に識別は可能であり、必要でもある。このことを正しく理解するためいつも念頭においておかなければならない問題がある。…

教皇フランシスコ著『愛の悦び』Amoris laetitia 8章  296・303

296. 司教たちはいくつかの異なった弱さや不完全性〔不完全な心の持ち方や信仰生活のあり方〕の状況について言及した。これに関して道を誤らないように別な機械に教会に私は思い起こさせた次の点を明らかにしておきたい。 〔端的に言えば〕、“教会の歴史を振…

教皇フランシスコ『愛の悦び』 Amoris laetitia 第8章 (つづく 293-295) 293.司教たち(synod fathers、世界代表者会議・シノドス参加者の司教たち)は〔信者同志の〕民法だけによる結婚(merely civil marriage)または事実結婚(simple cohabitation)−この二…

教皇フランシスコ著『愛の悦び』Amoris laetitia』8章

愛の喜び 第8章〔説明的・意訳を含む〕試訳弱さと識別そして同伴ACCOMPANYING, DISCERNING AND INTEGRATING WEAKNESS 弱い立場に置かれている者に寄り添って同伴し、識別する。 弱さを排除せずに(integrating weekness)、弱さの中で道探しする者(discernmen…

イエス・キリストは慈しみ深い神の顔 

いつくしみの特別聖年、公布の大勅書、教皇フランシスコ著『MISERICORDIAE VULTUS』の抄訳 (説明を含む意訳)。イエス・キリストは、父なる神のいつくしみのみ顔です。(Misericordiae vultus,1)神の憐れみは喜びの源、心の平安と平和の泉です。(2)わた…

マリアの処女懐胎は生物学の意味ではなく、信仰の象徴的な話です

(スペイン語の原文を読むためにはマシアHPを参照:www.juanmasia.comVirginidad y alumbramiento)マタイ福音書とルカ福音書におけるイエスの誕生物語は史的事実でもなければ、子供向けのおとぎばなしでもありません。それは信仰の立場からの創作です。その物…

聖年の特別な恵み(indulgence、贖宥・免償)を見直した教皇フランシスコ

小さいころから私たちは、教会のカテキズムをつうじて、「私たち信徒はみな同じ身体のメンバーとして、お互いのために祈りを分かち合うべきである」と教わってきました。これは、どういうことでしょうか。これは、いわゆる「聖徒の交わり」と呼ばれるもので…

教皇フランシスコ回勅『ラウダート シ、主に賛美、Laudato si'』 つづく 238−242

三位一体とすべての生きもとの間の関係三位一体とすべての生きものの間の関係 238. 父なる神はすべての最終的な一切の源です。父なる神は存在するものの愛の根拠であり、自己譲渡の愛です。その愛の移す方、み子を通してすべてのものが造られたのですが、そ…

教皇フランシスコ回勅『ラウダート シ、主に賛美、Laudato si’』つづく 233−237

VI。秘跡的な徴と安息日の祝い 233. 宇宙はすべてをみたす神のうちに展開されます。それゆえに、神秘的な意味が一枚の葉においても、道端においても、露においても、貧しい人の顔においても見出すことができます。理想は神の働きを魂の中で発見するために外…

教皇フランシスコ回勅『ラウダート シ、主に賛美、Laudato si’』つづく、228−232)

V. 市民社会と政治共同体における愛228.自然のケアは、ライフスタイルの一部です。このライフスタイルはすべての人とすべてのものと一致して共に生きることを可能にします。我々が共有している父なる神がいます。このことが我々を兄弟と姉妹にします。イエ…

教皇フランシスコ回勅『ラウダート シ、主に賛美、Laudato si’』(つづく、6章、222−227)

悦びと平安222. キリスト教の精神性は生活の質を理解するためのもう一つの方法を提案します。それは予言的であると同時に神秘的・観想的であるライフスタイルですので、消費主義にこだわらないのです。[これに関して]聖書においても他の宗教伝統においても…

教皇フランシスコ回勅『ラウダト シ、主に賛美、Laudato si’』 6章 (216・221番)

III.生体学的な[問題意識をもつ]回心216. 2000 年のあいだ個人と共同体の経験の積み重ねで培われたキリスト教精神性の豊かな遺産は、人類の更新のため貴重な貢献をすることができます。福音書では我々の考え方および生活にとって直接的な結果をまなびます…

教皇フランシスコ回勅『ラウダート シ、Laudato si',主に賛美』(マシア訳・意訳・訳注を含む)つづく、6章209-215,、

人類と環境世界との契約のための教育209.文化的にして生態学的な危機の深刻さに関する意識は新しい生活様式の慣習を生み出すべきです。現代の進歩も現代の消費のための商品と快楽の山積も人間の心を満たし、人生に意味を与えることができないと言うことを多…

教皇フランシスコ回勅『ラウダート シ、主に賛美、Laudato si'』J.マシア訳 (意訳・解釈)、続く204−208 

教皇フランシスコ回勅『ラウダート シ、主に賛美、Laudato si'』J.マシア訳 (意訳・解釈)、続く202-208 第6章生態学的な教育および精神性[霊性]Educación y espiritualidad ecológica202. 多くの[分野で行われている]ことにおいて軌道修正して方向付…

教皇フランシスコ『らうだーとシ、Laudato si'、主に賛美』、(つづく、5章,163 -201)

17:59 | 編集第5章問題への対応と行動の指針163. これまで、私は人類の現在の状況を検討しようとしました。そして、環境崩壊を引き起こす人間の責任および私たちが居住する地球を傷づけるヒビ(皹)に留意しました。この現実を凝視することによって方向転換…