教皇フランシスコ『愛の喜び』Amoris laetitia,4章結婚と家族内の愛.109-113

喜ぶ人とともに喜ぶ

109.<愛は不正を喜ばない>と訳されているoú hairei epí ta adikía, (ウ・ハイレイ・エピ・タ・アディキア)はこころの内部に隠れている悪さの根を指しています。それは毒とも呼べる恨みであり、悪事や不正の被害者になっている人の痛みをあわれむどころかそれを喜ぶということです。この否定的な態度とは違って聖書は勧めます、<愛は人とともに誠を喜ぶ〉というのです。これはつまり人の身によいことが起こることをこころから自分も喜ぶということです。喜ぶ人とともに喜ぶというのは人の尊厳を認め、人の能力を評価し、人の良いことをみて喜ぶことです。しかしいつも人と自分をくらべてばかりいれば喜ぶ人とともに自分も喜ぶことができなくなります。常に自分が背伸びするか卑下するかということだけにとらわれており、配偶者に対してさえもその人の失敗をみて心のなかで喜ぶということまで恨みをいだいてしまうことがあります。

110.愛する人は愛している人のためによいことをすることができるとき喜びます。愛する人は愛している人の人生は充実していることを見て喜び、相手の生きがいを喜び、神に感謝します。「快く与える人を、神は愛してくださる」(1コリント9,7).人のしあわせを喜ぶ者を主は評価します。人の善を喜び、人の善を楽しむ能力を養わずに、自分のニーズばかりを満たすことだけしか考えなければ、自分自身の人生を喜ぶことができなくなるでしょう。イエスが言うように「受けるより与えるほうが幸いです」使徒伝20,35.
すべてをゆるす

111.7節では「すべて」という強調のしかたではじまる四点が指摘されます。「愛はすべてをこらえ、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐え忍ぶ・と言っております。このように愛の活力が強調されています。愛の力は愛する人を逆行に泳がせ、逆境を乗り越えさせ、どんな障害物にも立ち向かわせることを可能にします。

112.愛はすべてをこらえるといっています。Panta sutegeiはすべてのミスには弁明の余地があると思うことです。先の5節に出た「悪を数え立てない」とはニュアンスが違います。すべてをこらえると言う言い方には沈黙と関係があり、相手のよくないところに関して黙っておくことという意味もほのめかします。いいかえれば判断を抑え、きびしくて容赦のない断罪をしないということです。「人を罪に定めてはならない。そうすればあなたがたも罪に定められないであろう」。ルカ6,37.み言葉がすすめます。「兄弟のみなさん、たがいに悪口を言い合ってはいけません」ヤコブ4,11.相手のイメージを傷つけることによって自分のイメージをよくしようとするときわたしたちは自分の恨みや妬みを吐き出してしまい、どんなに害を与えているかを気にしないのです。名誉棄損は大きな罪になりうることを忘れてしまうことがあります。名誉棄損は修復しにくい害を与えるのです。み言葉は厳しくこのことを戒めています。「舌は、体の器官の中で、不義の世界を代表し、全身を汚します…舌は死をもたらす毒に満ちています…この舌をもって、神にかたどって造られた人々を呪います」ヤコブ3,6−9 愛は人のイメージを傷つけないように気を使い、敵の名誉さえもきずつけないのです。神のおきてをまもるときこの愛の要求を忘れないようにしましょう。

113.互いに愛し合い、属し合う夫婦は配偶者の悪口を話さずに、相手の弱さと過ちを超えてよいところを浮彫にします。とにかく相手のイメージを傷つけないように気を使ってだまっておくことがあります。これは外的なジェスチャではなく、こころの態度です。もちろん相手の欠点を見ていないというナイブな態度のことではないのですが、相手の弱点を広い視野の中に位置づけられ、そうした欠点は相手のすべてではなく相手の存在のすべてではないことがわかります。ちょっとしたいやなことが二人の関係を傷つけても、それはその関係のすべてではないのです。わたしたちはみな光と影の複雑な混合であることを受け入れましょう。相手の中で私に迷惑をかけるそのことは相手のすべてではないのです。相手はそれ以上の者です。だから相手の愛を評価するときその愛は完全であることをもとめません。相手は自分自身のあるがままに見せて私を愛し、自分の限界の枠内でわたしを愛しており、その愛は不完全ではあっても似非の愛でもなく、真の愛の現実です。相手の愛は現実ではあるが、もし私はできる以上のことを相手から要求すれば、相手は何らかの形でそれは無理だとわからせてくれるでしょう。相手は神のような者でもなければ私のすべてのニーズにこたえる者でもないのです。愛は不完全性とともに共存することができ、それを大目に見て、愛している者の限界がわかって黙っておくことができるのです。