2008-01-01から1年間の記事一覧

ご公現

六甲教会、説教箇条書き、2009-01-04 東の方から知恵のある旅人たちがイエスを拝みにくるという話しをとおしてマタイ福音史家がエフェソ書の著者と同じことを伝えようとしております。つまり、外国人(異邦人)がユダヤ人たちと同じからだに所属し、同じ約束…

未知の道

六甲教会、説教箇条書き、08−12−28 アブラハムの信仰、神に対する彼の信頼をたたえてヘブライ人への手紙の著者は次のように言います。「聴き従って行き先も知らずに出発した」。この三つの言葉に留意しましょう。 1)「行き先も知らずに」。アブラハムには不…

聖夜:暗闇の中の光り

六甲教会、説教の箇条書き、08−12−24 クリスマスの夜 暗闇の中を歩んでいた民衆には希望の光が現れた。先ほどお聞きになった聖書の言葉です。昔、紀元前の八世紀のころのイザヤ預言者の言葉です。あれから約七百年経った後、パレスチナのガリラヤ地方でイエ…

エリサベトとマリア:不安と希望

六甲教会説教箇条書き、08-12-21 待降節4主日 この福音の初めと終りのところに「六ヶ月目に」という言葉があります。お手許の『聖書と典礼』で読むと、「その時、天使ガブリエル...」というふうになっておりますが、『新共同訳の聖書』で読めば、「六ヶ…

思いがけないときのイエスの訪れ

六甲教会、説教箇条書き、2008-12-14 1. イザヤ61章の2節の後半の部分は『聖書と典礼』の英語版で省かれているが、日本語版には省かれていないので、説明を加える必要があります。 実はルカ福音書4章19節ではイエスがこのイザヤの言葉を引用しながらも…

神様の「気」(プネウマ)、聖なる「命の息吹」を信じる

六甲教会、使徒信条研究会の箇条書き 08-12-04 使徒信条の第三部は「聖霊を信じる」と言うが、「聖霊」という言葉は誤解されやすい。わたしたちは「父と子と聖霊のみ名によって」と祈るが、この「と」(英語でand)は、神様は三者であるかのように誤解され…

人間の尊厳と人権の自覚

六甲教会、説教箇条書き、08-11−29、待降節 1主日1.イザヤ予言者(第一朗読)は神にむかってこう祈っております。『主よ、あなたは私たちの父です。。。私たちは粘土、あなたは陶工』。言い換えれば、「「わたしたちみたいな者でも、み手の作品としてあな…

最後の審判には、イエスこそ弁護人

六甲教会、使徒信条研修箇条書き、 08-11-20 六甲教会、説教箇条書き、王であるキリスト、08-11-20 使徒信条で言われている「生者と死者を裁くために来られる」ということばを誤解せずに、神の裁きこそ「慈悲と和解の場」であることを理解したい。イエス・キ…

ニコデモ

六甲教会、聖書研究箇条書き、08-11-17、ヨハネ3 ヨハネ福音書の以下の六ヶ所は「象徴的な物語」の形でイエスがもたらした「新しさ」が語られている。1. Jn 3、 ニコデモ 2. Jn 4 サマリアでの逸話 3. Jn,5 ベトザタの池での癒し 4. Jn、6 パンの分か…

負かされたものを生かし、実を結ぶ

六甲教会、説教の箇条書き、年間33主日、08-11-16 マタイ福音書の25章29節と13章12節に引き合いに出されている格言はあいまいです。「持っている人はさらにあたえられ、ゆたかになる。持っていない人は持っているものまでも取り上げられる」。 この言葉を…

イエスは「神殿の宗教」に抗議した

六甲教会、説教の箇条書き。 22008年11月9日本来ならば、11月9日は年間32主日の典礼にしたがって聖書朗読を行うはずでしたけれども、残念ながら「ラテラン教会の捧堂」という記念に変えられてしまっています。私たちにとって「ラテラン教会の献堂」はピンと…

諸聖人・諸死者・諸信徒の繋がり

六甲教会、説教箇条書き 2008年11月2日 南瓜に蝋燭をつけ、仮面をかぶって遊んでいる子供たちは、日本でもハロウイーンという言葉を知っているようです。昔の英国では冬の始まりに農家の祭りがありました。農民たちは季節の移り変わりに人間の世界と…

天に昇って

天に昇って...(六甲教会、使徒信条箇条書き、08-10-30)「天に昇った」という象徴的な表現によってイエスは今尚生きておられることが表わされています。「天に昇った」というのは雲の上にいると言う意味ではありません。死んで永遠の命に入ったイエスが…

罪のゆるしこそ新しい創造

(六甲教会聖書研究会箇条書き、08年10月06日)詩編 50と51は「罪のゆるしを願い、それを感謝する典礼の祈りである」とアロンソ師は言う(「回心の典礼」『神学ダイジェスト』、52号、42-49頁」)。 19節は重要:「神の求めるいけにえは、うち砕かれた霊。うち…

イエスの復活とは、ラザロ物語の「いきかえり」とは違う。

六甲教会「使途信条研究会」箇条書き(08・10・02) まず、「三日目によみがえった」という表現にこだわらないように。三日間が経ったのではなく、「決定的に永遠の命に入った」という意味です(ホセア6,2)。 そして「復活した」という言葉も「この世のいの…

たとえ話から学ぶ

六甲教会説教箇条がき、年間26主日、2008年9月28日 『父親は兄に言った。「ブドウ畑に働きに行きなさい」。兄は「行きたくない」と言ったが、後で考えなおして、行った。父親は弟に、「働きに行きなさい」と言った。彼は「はい」と言ったが、行かなかった…

十字架は罰ではない

六甲教会説教箇条書き08年9月14日、十字架の称賛 キリストの十字架上の死は神からの罰ではない。 9月14日に典礼の暦では「十字架の称賛」または「十字架の勝利」となっております。勝利とは「負けるが勝ち」ということですが、イエスの死は世間的にみたら敗…

本音で話す教会

六甲教会説教箇条書き、08年9月7日、年間23主日地 本音で話す教会 「うちの教会では本音で話せない』と言っていた信徒に対してもう一人の信徒はこう答えた。「いや、教会ならでは...本音で話せるはずでしょう」。 確かにそのとおりだと思います。 世間…

ペトロは叱られた

六甲教会説教箇条書き、2008年8月31日、年間22主日 前回は湖の上を歩きたいという「とんでもない奇跡を求める」ペトロの姿が出ました。 (コメントを書いてくださった方には詳しく答える暇がないのですが、たしかにイエスを信じるには奇跡を信じる必要があり…

不安が伴なう信仰

六甲教会説教箇条書き、08・08-10、年間19主日、不安の伴なう信仰 海の上を歩くペトロ。これは忍者みたいな話しでしょうか。 昔の中国にはある有名なお坊さんが完全な最高の悟りを得ると湖の上を平気に走り出すという不思議な技を行ったと伝えられました。そ…

古いものと新しいもの

古いものと新しいもの 六甲教会説教箇条書き。08-07-27 A年、年間17主日今日の福音はマタイ13章の締めくくりのところです。マタイはこの章の中でイエスが語ったたとえ話をまとめておりますが、締めくくりのところで次のように言っています。「天の国のこと…

使徒信条-3-

六甲教会宗教教育箇条書き 使徒信条 -3-「主は聖霊によって人となり、乙女マリアから生まれた」 マタイ福音書とルカ福音書におけるイエスの誕生物語は史的事実でもなければ、子供向けのおとぎばなしでもありません。それは信仰の立場からの創作です。その物…

加害者と被害者

六甲教会説教箇条書き。08・07-20、A年、年間16主日、毒麦の例え話しとゆるしの意味 この例えを聞くと、ともすれば人を善玉悪玉に分けて考えがちかもしれません。自分自身をどちらの陣地に位置づけるでしょうか。実は自分自身の心のうちに両者(善玉悪玉)の…

『使徒信条をめぐって』−1、2、3−

六甲教会宗教教育箇条書き。『使途信条をめぐって』−1− 使途信条の順にしたがってキリスト教の教えに関する「箇条書き」を積み重ねていきたいと思います。 このノートは毎月、第1と第3月曜日に六甲教会で集まっている数名の話し合いを踏まえた上でまとめ…

聞く耳のある者

六甲教会の説教箇条書き(08-07-13,年間15主日A年、マタイ13,1-23)聞く耳のある者 「被造物がすべて共に呻き、共に産みの苦しみを味わっている」とパウロは言います(ローマ書8、22)。言い換えれば「神様によって作られたすべてのものが呻きながら待ち望…

重荷をおろして

六甲教会の説教箇条書き(08-07-06,年間14主日A年 (マタイ11,25-30)重荷をおろして 「私のくびきは負いやすく、私の荷は軽い」とイエスは言います(マタイ11、30)。他なところで、宗教指導者たちに向かってこう言います「自分で背負えない重荷を人の背中…

信じること

六甲教会宗教教育箇条書き。 『使徒信条」−4− 「信じること」 「宗教」のことを「神聖なものに関する信仰」、信仰は「神・仏など、ある神聖なものを信じ尊ぶこと」と説明される(国語辞典)。ときには、「宗教」は「既成宗教」を指し、 「信仰」は宗教的な心…

和解とゆるし

六甲教会聖書箇条書き(1)ヨハネ20,23 和解とゆるし 「誰の過ちであれ、あなたがたが赦すなら、彼らは(それらの過ちが)ゆるされている。誰の過ちであれ、あなたがたが留め置くなら、留め置かれたままである」(小林稔訳、岩波書店、1995)。 こ…