天に昇って

天に昇って...

(六甲教会、使徒信条箇条書き、08-10-30)

「天に昇った」という象徴的な表現によってイエスは今尚生きておられることが表わされています。「天に昇った」というのは雲の上にいると言う意味ではありません。死んで永遠の命に入ったイエスが肉眼で見えないが、常に私たちと共おられます。そして私たちをつかわし、私たちの手と足を通してはたらきます。
この教えを聖書はいろいろな表現であらわします。たとえば、ご商店を表す次の五つの五つの表現を検討しゅいましょう。
1)「上にあげられた」(ルカ24,51)、「上にいる」というのは「死にうちかった」という意味です。
2) 「父なる紙の右の座についた」(使徒2,33)、「右の座にいる」というのは「裁く権能を与えられた」と言ういみです。
3)「あなたがたより先にガリラヤに行く」(マルコ16,7)、「先にいる」,「先に歩いている」というのは日常生活の現場にいると言う意味です。 .
4)「世の終わりまであなた方と共にいる」(マタイ28,20)、「常に共にいる」、「傍にいる」というのは共同体の中にいるという意味です。
5) 「すべてを満たしておられる」(エペソ教会への手紙4,9-10)というのは私たちのうちにおいてもすべてのものにおいても現存しているということです。