教皇フランシスコ『愛の喜び』Amoris laetitia,4章結婚と家族内の愛.114-115

信頼

114.すべてを信じる、panta pisteuei パンタ ピステウエイというのはすべてにおいて信頼するということです。ただ単に相手はうそをついていないかと疑わないだけのことではなく、もっと基本的な信頼のことです。基本的な信頼は神が相手のこころの中につけた光を見抜き、闇の中で隠れており、杯の下によこたわっている下火を認めることができます。

115.こうした基本的な信頼は愛し合っている者どうしの関係において自由が失われないことを可能にします。相手をコントロルする必要がありません。自分の手から離れられないように相手を引き留める必要がありません。愛は信頼し、相手を自由にし、相手を支配せずに、相手を所有しようとしません。こうした自由は自律の場を認め、世界への開きや新しい経験への開きをみとめます。そうすることによって二人の関係がより豊かになり、閉じた自分たちだけの世界にとじこもらせないのです。配偶者それぞれの活躍の場から帰った時家族の外で受けたものや学んだものを家族の中で分かち合ってよろこびます。それと同時に前述した信頼と自由があるところに誠実と透明が可能となります。相手が私を信頼しており、わたしの根源的な良さを認めていることが分かるとき、安心してあるがままの自分をさらけ出すことができます。しかし相手が私を疑い、無条件に信頼していないと察知したら自分の秘密を隠し、自分の失敗や弱さを見せないで猫をかぶってしまうでしょう。それとは逆に愛情のある基本的な信頼のある家族ならどんなことが起こったにしてもいつも信頼をあらたに取り戻すことが可能でしょう。そのとき家族の各員の真のアイデンティティが現れ、おのずと嘘やごまかしや偽りが入る余地がないでしょう。