未知の道

     六甲教会、説教箇条書き、08−12−28

 アブラハムの信仰、神に対する彼の信頼をたたえてヘブライ人への手紙の著者は次のように言います。「聴き従って行き先も知らずに出発した」。この三つの言葉に留意しましょう。

 1)「行き先も知らずに」。アブラハムには不安があります。将来どうなるか分かりません。はたしてどうなるのか検討がつかないのです。

 2)「聴き従って」。「服従』と訳されていることはの意味は聴いて信頼するということです。信頼にしっかりと立ち、神に対する信頼の心がしっかりと定まっています。

 3)「出発した」。アブラハムは神に信頼するからといって何もしないで待っているだけわけではありません。出発し、動き出し、道がないところをあるきだし、歩きながら道を作り、歩いたところが道になるのです。神に信頼するということは受身で何もしないで座っているということではないのです。神の導きがあると信頼しながら、自分の計らいで予想できない未来に向かって自分の計らいでどうなるか見当がつかないところに向かって創造的・想像的に道を作っていきます。

 ところで、ヨセフがなくなってからナザレトの家を出るイエスを見送るときの母親マリアにも、ヨルダン川にいたヨハネのところへ出かけるときのイエスにも、「聴き従って行き先をしらず出発する」という「信頼と決心」があったことを察知できます。

 道を見出させる神の導きに対する信頼。道を作っていく決心。私たちに道を見出させる神様は、遠い雲の上から不思議に現れるのではなく、我々自信のうちに働くことによって我々に道をみいださせる。

 現代の経済危機の状況の中で、困っている人々がどのように具体的助け合っていけるのでしょうか。ある教会で駐車所の一部を解放し、テントを張るホムレスの人の貸しているという話しはこのあいだインターネットで伝えられていたのですが、想像力と創造力を働かせて私たちに何ができるのでしょうか。

 とにかく、聖書によって呼びかけられて「聴き従って行き先も知らずに出発するように」と促されていると思います。