聖夜:暗闇の中の光り

  六甲教会、説教の箇条書き、08−12−24 クリスマスの夜

 暗闇の中を歩んでいた民衆には希望の光が現れた。先ほどお聞きになった聖書の言葉です。昔、紀元前の八世紀のころのイザヤ預言者の言葉です。あれから約七百年経った後、パレスチナガリラヤ地方でイエス様は現れて暗闇の中を歩んでいた民衆に希望の福音を与えました。 イエス様は病人をいやし、弱い立場で苦しい生活をしていた民衆に希望をもたらしました。ルカ福音書の中でその希望が伝えられております。ルカはイザヤ預言者の言葉を繰り返しています。「暗闇の中を歩んでいた民衆には希望の光が現れた」。これこそクリスマスの意味で、希望の光です。ただ、その光がどこで輝くのかというと、それは暗闇の中を歩んでいる民衆の間です。

 先ほどお聞きになった二番目の朗読では「すべての人に解放をもたらす神の慈しみが現れた」と言っていました。イエス様が教えてくださった神様は「私たちと共におられる方」、「近づきやすい方」と言われています。ヨハネ福音書の言葉で言えば、「神の輝きが人となり、私たちの間に住まわれた」ということです。そういった神の姿はまさにイエス様において現れました。だから世の光り、世の中を生かす光りと呼ばれています。

 教会の暦では古くからお祝いされていたお正月六日の日は「神の表れ」、「ご公現」、ギリシャ語で「エピファニア」と言います。お正月の六日はクリスマスよりも古くからの祝いでした。イエス様によって希望を与えられたキリスト者たちは年末から新年にかけてのこの季節のことをみなおしました。

 昔からいろいろな民族や宗教の人々は十二月二十日あたりからお正月にかけて火の祭りとか太陽の祭りなどを祝い、冬の中で春の明るさが芽生えるのを待ち望んでいました。一年に一番長い夜はこのごろです。太陽の光りが弱くなり始める、もっと南に輝くとき、とうじ(冬至)と言いますか、北半球では昼がもっと短い日、十二月22日ですねえ。その後、新年からつぼみが芽生えて、春の兆しが感じられます。希望の光りを語るために相応しい季節です。しかし、希望の話しをきれいごとに終わってしまわないように心得たいですね。いわゆるイルミネーションだけでクリスマスの意味をごまかしたくないです。イエス様がもたらす希望の光りはまぶしい光でも、冷たい光りでもなく、星のような光りだと思います。暗くならないと星が見えません。暗闇の中を歩んでいた民衆には希望の光りが現れた。確かにこの聖書の言葉はきれいごとではありません。

 苦しい生活を強いられている民衆の間に現れる希望です。その中からこそルカ福音書に書いてある誕生物語が生まれました。しかし、その話しはいつのまにか上層階級と権力者たちにとって都合のいい話に変えられてしまって西洋美術の中で美化されてしまいます。私は今週いただいたクリスマスのはがきにはルネサンス時代の貴族婦人たちが着ていたような服装のマリア様が描かれていましたが、それはマリア様らしくありません。

 結婚外の妊娠で戸惑うマリア、マリアを受け入れるかどうか戸惑うヨセフ、飼い葉桶の幼子イエスを拝む貧しい羊飼いたちなどは綺麗事でもなければ子供向きの話でもありません。処女降誕の象徴は生物の話しでも出来事の細かい描写でもありません。それは、信仰の立場から作られた物語です。特に弱い立場にいる人々の信仰の希望、闇の中で輝くキリストの光を証言する物語です。その物語を通してイエス様とは誰であるのか、そして神様はどのように現れ、どこに見出されるのかということは伝えられています。

 クリスマスの話を綺麗事や子供向けの話しだけにしてしまいたくありません。イエス様の誕生は例外的であったというよりも、その誕生においてこそすべての誕生の不思議な謎は示され、すべての誕生で起こる神秘はイエスの誕生に照らして解き明かされるといったほうが適切でしょう。というのはどの子供でも親から生まれると同時に聖霊によって、神の息吹によって生まれると言えるからです。この妊娠は神の息吹によって見守られています、どんな事情によってマリアが身ごもったにしても神の息吹によってその誕生が見守られています。マリア様はどのような事情で妊娠するようになるかということの史的事実は私たちには調べられません。それはどのような事情であっても、その子供の誕生は神様によって支えられ、見守られていますし、どこに、どのような形で神様が現れるかということを伝えられるようになるのです。

 先ほど私たちは歌いました。『天のいと高きところには神に栄光、地には善意の人に平和あれ』。お手許の『聖書と典礼』の訳では、「いと高きところに栄光、神にあれ、地には平和、神の心にかなう人にあれ」となっております。他の読み方では、「この世には平和、神様の志だからです」。言い換えれば、神様から大切にされているすべての人に平和。それこそ神様の志です。
今月、世界人権宣言の六十周年にあたって日本カトリック司教団がメッセージを著しました。『すべての人の人権を大切に』という題のメッセージですが、次のように訴えております。「貧しく弱い立場に追いやられ、大切な人間関係を断たれてしまっている人々、人間らしい生活が損なわれ、あるいは妨げられている人々の側に立って、この世界を見るようにし、...」、掛け替えのない一人ひとり、すべての人間の尊厳と人権が尊重される世界の建設にかかわるように。このように教会はイエスの福音にもとづいて人権擁護を訴えております。

 暗闇の中を歩んでいた民衆には希望の光りが現れた。私たちは、今晩、全世界に目を向けて苦しみの中を歩んでいる人々のことを思って祈りたいものです。戦争の被害者、国の侵略で悩む民衆や子供とそのお母さんたち、難民生活を送っている人々、国へ仕送り出きるようにいやな仕事を安い給料でせざるをえない人々、日本社会の厳しい画一化のため普通のレールに乗れないで、社会の片隅においやられている人々、声なき、力なき人々などの間に希望の光が現れ、その人々から私たちに希望があたえられるように祈りたいと思います。