エリサベトとマリア:不安と希望

   六甲教会説教箇条書き、08-12-21  待降節主日
 
 この福音の初めと終りのところに「六ヶ月目に」という言葉があります。お手許の『聖書と典礼』で読むと、「その時、天使ガブリエル...」というふうになっておりますが、『新共同訳の聖書』で読めば、「六ヶ月目に、天使ガブリエルは...」となっております。「六ヶ月目に」というのは「枕詞」みたいなものです。後に、妊娠六ヶ月めのエリサベトを妊娠したばかりのマリアが訪問するでしょう。

 この二人の女性の妊娠は象徴的にこの福音の中で重要な位置をしめています。ご存知のように、ルカ福音史家が書いたのは歴史的な記録でも生物や生理学の話しでもありません。ルカは象徴的で、文学的な表現をつかって物語りを書きます。そしてそれを通して信仰を表し、イエスとはだれかということを伝えようとします。

 この話しの中で妊娠している二人の女性が出てきます。エリサベトとマリアです。エリサベトは六ヶ月目の妊娠です。マリアは妊娠したばかりです。エリサベトは妊娠するには年をとりすぎています。マリアは妊娠するには若すぎるぐらいかもしれません。両者とも心配するでしょう。こだまにめぐまれるのはさいわいですが、分娩のとき大丈夫かなとエリサベトは心配するでしょう。未婚のままで妊娠するマリアは周りから変な目で見られてヨセフからどのように受け止められるか、これもまた心配です。

 この二人の女性はどの妊娠にも伴う不安と希望、望みと心配を表しています。自分の腹を痛めてお子さんを産んだお母さんたちにはよくわかることでしょう。赤ちゃんを迎えたい親、これからどのように育てていくかを心配する親。不安と希望です。

 み使いガブリエルの言葉は励ましと力づけの言葉で、マリアを安心させます。「神の力はあなたを支えるから大丈夫です。神様の影はあなたを包みます」。

 その言葉に励まされてマリアは言います。「お言葉の通りこの身になりますように」。マリアのこの返事に言われている二つの大切なことに留意しましょう。

 まず一つは、「お言葉の通りに」という言葉です。それから、もう一つは「この身になりますようの」という言葉です。「お言葉の通り」というと、ガブリエルが言った言葉の通りです。つまり、「いと高き方の力があなたをつつむ」、言い換えれば、「いと高き方の影があなたを包むから、あなたの身に起こることはまさに「お蔭様」です。身ごもるということはおかげさまで実現される出来事で、神様の力、聖霊の力が働いて起こることです。

 それと同時に、身ごもるということは「この身に」、「マリアの身に」、「エリサベトの身に」「すべての母親の身に」起こることです。

 このように身ごもって子供を産むということは親の営みであると同時に神様の力、聖霊によって、お蔭様で起こることです。親が子供を作ると言えますが、子供を授かるとも言えます。親が作った子供は授かった子供です。正確に言えば親が子供を造るというとき、創造の「造」という字で書いたほうが良いでしょう。作品の「作」よりも創造の「造」という字で書いたほうが相応しい。なぜかといえば、親が神様とともに子どもを造るからです。

 どの子供でも親から生まれると同時に聖霊によって生まれるとも言えます。この意味でイエスの誕生に照らしてすべての誕生に起こる不思議な神秘が明らかにされるということをこの福音から学び、生まれるいのちの重みを感じさせられます。生まれてくるすべての子供が望まれて生まれ、迎えられて生まれることが出来ますように祈り働きかけましょう。