思いがけないときのイエスの訪れ

六甲教会、説教箇条書き、2008-12-14

1. イザヤ61章の2節の後半の部分は『聖書と典礼』の英語版で省かれているが、日本語版には省かれていないので、説明を加える必要があります。

実はルカ福音書4章19節ではイエスがこのイザヤの言葉を引用しながらも後半の部分をはぶいています。イザヤは「恵みのときが来る」と言ってから「報復のときが来る」と付け加える。

しかしイエスは、イザヤを引用するとき、「恵みについての良い知らせ」を伝え、「報復に関する言葉」を省いたのである。

  イエスは「神の報復」を伝えに来たのではない。イエスが伝える良い訪れは恐怖ではなく、信頼と喜びを呼び起こすはずなのである。

 2.パウロが言う「主イエスス・キリストが来られるとき」または「主の日」と呼ばれる「主の訪れ」は、三つの意味で受け止められる。1」世の終りの日、2)一人ひとりの死の日、3) 日常の中で一番思いがけないとき、思いがけないきっけ、思いがけない形で現れる主の訪れである。

 3.福音では洗者ヨハネの言葉でこう言われている「あなた方の中には、あなたがたの知らない方がおられる」。この言葉もわたしたちの生活の中で思いがけないときと形で現れる「イエスの訪れ」に気づくように私たちを呼びかけている。