重荷をおろして

 六甲教会の説教箇条書き(08-07-06,年間14主日A年 (マタイ11,25-30)重荷をおろして


「私のくびきは負いやすく、私の荷は軽い」とイエスは言います(マタイ11、30)。他なところで、宗教指導者たちに向かってこう言います「自分で背負えない重荷を人の背中に載せるな」 (マタイ 23,4 参照)。

 イエスが説いた教えは重荷になるはずはありません。イエスは明るい信仰の持ち方を勧めました。「花婿が一緒にいるあいだ悲しむわけにはいかない」(マタイ9,15)。 イエスは重荷を背負っているものにやすらぎを与えようとしましたが、自分で背負えない荷を人に負わせる者を厳しく戒めました。

 イエスは、神の怒りではなく恵みを伝えたのです。その教えこそ「よい知らせ」(good news)、福音なのです。それを聞いて私たちは、希望と喜びを受け取ることができるのです。私したちがキリストの教えを述べるとき、それを聞く人々が希望と喜びを感じないで、かえって恐怖心にさいなまれることになってしまえば、それは、私たちが伝えていることがキリストの福音ではないからです。

 イエスは重荷ではなく、よい知らせとなる教えを力説したのです。だからその教えは、重荷にならないはずです。ヨハネの第一の手紙では、「その掟は重荷になるはずはない」と言われています(一ヨハネ5、3)。私たちが伝える教えが人々の重荷になっているとすれば、教え方が福音から離れてしまったからでしょう。重荷になれば、それは福音ではなりません。なぜなら、それでは「よい知らせ」にはならないからです。

 福音に基づいた教え方の刷新のために、法律よりも恵みを、禁止条項より私たちを生かすキリストの息吹(聖霊)、キリストのいのちを中心にしなければならないのです。そのような明るい信仰の持ち方と信仰の伝え方を身に付けたいものです。