教皇フランシスコ回勅『ラウダート シ、主に賛美、Laudato si'』 つづく 238−242

三位一体とすべての生きもとの間の関係

三位一体とすべての生きものの間の関係


238
. 父なる神はすべての最終的な一切の源です。父なる神は存在するものの愛の根拠であり、自己譲渡の愛です。その愛の移す方、み子を通してすべてのものが造られたのですが、そのみ子はマリアの胎内に宿ったときこの地上と一つになりました。無限の愛の絆である聖霊は宇宙の心に深く現存し、新しく生きる道を切り開き、我々をはげますのです。世界は唯一の神的原理としての三位一体なる神によって創造され、父と子と聖霊の特徴のある共通な業です。それがゆえに、我々が感嘆して宇宙を観想します。


239.
キリスト教徒は、三位一体なる唯一の神への信仰を持っている以上、すべての存在のうちにその三位一体的な要素をみいだします。ボナベンツラに言わせれば、人間は罪を犯す以前の状態では各々の被造物において三位一体なる神の証言である徴を見出しました。罪を犯す以前に人間の目が暗ませておらず、自然という本が読めたのですので、自然の中で三位一体の写しがみえたのです。ボナベンツラが教えるように、どの被造物でも自分の内に三位一体的な構造をもっています。それが我々言見えないのは我々の目は脆くて、家具られており、暗いからです。このように現実を三位一体的な見方でみるのは挑戦課題です。


240.
三位一体はそれ自体として自在する関係であり、神の似姿にかたどられて造られた世界は諸関係のネットです。被造物は神に向かって神との関係において存在します。そしてまたか各被造物は他の物に向かって他の物と関係でつながっております。宇宙の内に無限なる諸関係のネットであり、見えない形でその諸関係は互いにつながっています。このことに気が付くと、すべての物の内にある関係を簡単するだけではなく、自分自身の自己実現への鍵が得られるのです。人間は自分から出て他者との関わりに入る限りにおいて成長し、成熟し、聖化されます。人間は自分から出て、神と他者と他の非贓物かかわる限り成長します。そのように人間は神が創造において造られた三位一体的活力に生かされるようになります。すべてのものが互いに繋がっています。三位一体の神秘から地球的な連帯性の精神性において成熟するように我々は招かれています。

被造界の女王とたたえられるマリア


241.
エスを育てた母マリアは、現在この傷ついた世界のために母の愛情と痛みを伴って気にかけます。突き通された心でイエスの死亡を悼んだのと同じように、現在、貧しい者の苦しみのために、そして、人力によって荒廃するこの世界のために、マリアは深く悲しみます。変容されたマリアはイエスと一緒に生きています。すべての生きものはマリアの美しさをたたえます。マリアは「太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっている」姿で輝きます。(黙示録12:1)。天国に被昇天して、マリアはすべての創造の母と女王です。マリアの栄光の体において、復活者キリストと共に、宇宙の一部は、その良さの充満に着きました。マリアは心(Lk 2:19、51)でイエスの人生を大事にして、現在こともあろうに意味を理解します。それゆえに、我々は彼女に知恵の目でこの世界を見ることができるよう頼むことができます。


242.
ナザレの聖家族でマリアの側に、聖ジョセフの姿は、立っています。彼の仕事と寄り添いを通して、マリアとイエスを気にかけて、守りました。そして、エジプトに彼らを連れていくことによって彼らを不当なものの暴力行為から救いました。福音書においてはジョセフを正しい者と表現します。そして、勤勉で、強いです。しかし、彼も大きな優しさを示します。やさしさは弱い人の特徴ではなく、信の強さを持っている者の特徴です。彼は謙遜をもって奉仕する者です。そのために前協会の保護聖人とされました。彼も環境をケアーすることを教えてくれることができ、神が我々に委託したこの世界を保護する際に寛大さと優しさで働くことを彼から学びましょう。