教皇フランシスコ著『愛の悦び』Amoris laetitia』8章

愛の喜び 第8章〔説明的・意訳を含む〕試訳

弱さと識別そして同伴

ACCOMPANYING, DISCERNING AND INTEGRATING WEAKNESS
弱い立場に置かれている者に寄り添って同伴し、識別する。
弱さを排除せずに(integrating weekness)、弱さの中で道探しする者(discernment)とともにあゆむ(accompanying)

291.シノドス教父たち〔以下は〈司教たち〉と省略する〕述べている通り、教会は結婚の絆を「破壊することはいかなるものであれ神の意志に反することうを認めつつも、教会の多くの子らの弱さにも気づいている」(Relatio synodi 2014, n. 24)。イエス・キリストのまなざしに照らされた教会は「不完全な形で教会生活に参加している人々の生活の中にも神の恵みが働いていることを認め、愛をもってその人びとに向き合う。この恵みは、彼らに善をなし遂げ、互いに愛をもって思いやり、自分が生活し、働いている共同体に奉仕する勇気を与えている」(Relatio synodi 2014, n. 25)。

他方では、教会のこの姿勢は慈しみの特別聖年において強められます。教会は、いつも完全性〔の理想の道〕を示し、神〔の呼びかけ〕に対するより充実した応答へ招きながらも、「教会は注意と思いやりをもって、愛に傷つき、あるいは愛を失って、非常にもろくなっている子どもたちに同伴しなければならない。教会は、灯台の光として、あるいは方向を見失い、嵐の中にある人々を照らす松明として、その人々に再び信頼と希望を与えなければならない」(Relatio synodi 2014, n. 28)。教会の課題はたびたび野戦病院にでもたとえられることを忘れてはならない。

292.キリスト者の結婚はキリストと教会との一致の映しであり、自由にまたは独占的に結ばれる男女の相互の与え合いにおいて実現されるが、このように結ばれる夫婦は命の伝達に開かれ田植えで、〔ともに一体化して〕人生を添い遂げる。彼らが築いていく家族がいわゆる家庭内教会と言えるものになり、社会に新しい命の息吹を吹き込む種となるためには、秘跡の恵みは彼らに注がれている。

この理想と根本的に相いれない結婚形式もあれば、その理想を部分的または類似的にしか実現していない他の結婚形式がみられるが、司教たちが指摘しているように、教会は「キリスト教のメッセージにいまだ、あるいはもはや、合致しない状況の中にも存在する建設的な要素を」評価しないわけにはいかない(Cf. Relatio synodi 2014, n.41, 43 Relatio synodi 2015, n.70)。