型破りの教皇たち El papa rompe esquemas. Humor y Evangelio en el Año de la Fe (5)

型破りの教皇たち El papa rompe esquemas.
Humor y Evangelio en el Año de la Fe (5)

カトリック教会にとって新しい時代の幕あけをもたらしたのはヨハネ23世だった(在位:1958年10月28日-1963年6月3日)。

第ニバチカン公会議の途中で彼の聖火を受け継ぎ、公会議を無事終幕までこぎつけたのはパウロ6世(在位:1963年6月21日 - 1978年8月6日)だった。

教皇の路線をさらに進めようとしてアルビアニ枢機卿教皇に選ばれたとき、ヨハネ・パウロ1世の名前を選んだ。惜しくもその在位は、わずか一か月だった(在位:1978年8月26日 - 1978年9月28日)が、後を受け継いだ教皇ヨハネ・パウロ2世(在位:1978年10月16日 - 2005年4月2日)は二十一世紀に向けて長いあいだ教会を導いた。

飾りからの脱皮

最初の日からそのほほえみで人々に親しみを感じさせたヨハネ・パウロ1世は、イタリア人からジャン・パオロの愛称で呼ばれた。彼自身もこの出そのように手紙にサインしたところ、国務長官に注意されたらしい。

教皇のライフスタイルは即位式の時から違っていた。まず長年の伝統の三重冠を使わないことに決めた。そして伝統的な戴冠式の代わりに、聖ペトロ広場でのシンプルな即位式のミサを行うことにした。また「輿の上に教皇野イスをのせた荘厳な入場を行い、その左右に、古代の王たちにかざしたような長いがらのついた扇を手にした人々が従う」という従来のしきたりを廃止して、そのような封建時代の飾りはもういらないと言ったのがヨハネ・パウロ1世である。

ベネチア枢機卿だったころ、彼は以前ピオ12世(が使った立派な指輪を売って精薄児の施設に寄付金を贈ったり、自教区の司祭たちにいらない宝石を貧しい人々のために使うように勧めた。「小さき人々の側に立つはずの教会に、近畿ら金などはいらないよ」と言っていた。

わかりやすい言葉

毎水曜日の説教はわかりやすくレトリックがないので、人々は驚いた。長年バチカンを担当していたある新聞の特派員は言った。「今度の教皇には驚いた。はじめから終わりまで言われることが全部よくわかる。珍しいことだ」。ある日など、話の途中で聴衆の中から子供を呼びだして自分のそばに立たせ、小学校の先生のような口ぶりでその子と話し、当日の説教のポイントを皆に分からせたりもした。

現代への理解

またある日の説教の中で教皇は言った。「神様は私たちの父でも母でもあるんですよ」。イタリア社会ばかりでなく、教会全体の中で、ともすれば女性が弱い立場におかれがちであるが、女性の解放に対して敏感な現代人にとって、あの教皇の言葉は新鮮に聞こえたが、その言葉を聞いてマユをひそめたのは側近の保守派たちだったが、彼らを安心させるために教皇は、「神様のことを母にたとえているのはイザヤ書なんですよ」と語った。

教皇になる一か月前、ルチアニ枢機卿はイギリスの試験管ベビーの誕生にあたって祝電を送った。産児制限の問題に関しても、深い理解を示していたようだ。

ところで、側近でピオ12世の時代(在位:1939年3月2日 - 1958年10月9日)などのあこがれるむきが教会の一部(カトリックアクシオンなどのグループ)にあった。

古代の飾りとレトリックにもどり、現代の問題に対して目を向けようとしない信仰者は今もいるのですが、だからこそヨハネ・パウロ1世の思い出が教会の記憶から消えないように願いたいものである。