Cleaning up at the Vatican 星座にハタキをかける

Humor y Evangelio en el Año de la Fe (2)


ヨハネ23世は、教皇が一人で食事をするという習慣を廃止した。一人ではさびしくて、おいしくない。ベネチア枢機卿だったころ、彼におみやげを贈りたいと言った人に、項答えた。「この水の都では、どこを見ても水ばかり。君の地方のワインを送ってくれるとありがたい。食事のときぐらい、水はもういい」。
料理も上手なら神学も若返る。
パリでバチカン大使をつとめていたとき、彼は夏休みを利用してきたスペインをドライブした。途中でイエズス会修道院に泊まった。突然の訪問で、副院長が温かいスープを出したが、まずかったらしい。ロナカリ枢機卿(のちのヨハネ23世)は正直に言った。「君たちは神学はよく勉強するそうだが、料理は得意ではないみたい。だけどね、料理もうまくなれば、神学も若返るのではないか」。
今になってみれば、あのことばの端に、いかにも第ニバチカン公会議の日々を預言するかのようなほのめかしがあったと思えてならない。
星座の塵を吹き払う。
料理の話のできる教皇は、日常生活からとったたとえで教会に新しい息吹を吹きこもうとした。
第ニバチカン公会議の神学的大革命を、彼はありきたりの具体的イメージで表した。
「結局、長年ペトロ野星座にたまたチリを吹き払う必要があるだけのことだよ」。
ところで、そんな大掃除をしてもらうと困る、と考える人もいたようである。公会議が短ければ短いほど都合がいいと言う考え方野背後には、その方が教皇庁によって公会議をコントロールしやすいという狙いが教皇庁の官僚たちにあった。それで、公会議は、1962年10月11日から始まって、12月8日8(無原罪の聖母マリアの祝日)に終わるように計画された。しかも、各国の司教たちに、準備委員会が作成した最終案を送るのは、開会直前の9月ごろの予定であった。さすがに教皇は、事務当局にハッパをかけて、7月から資料を送るようにと功がせた。
夏休みの宿題
7・8月のローマはうだるように熱い。原稿野1枚も書けるような状態ではない。ラテン語で「ad aquasアド・アクアス」つまり「海へ」といって、上から下まで全員夏休み野バカンスを取って、都会から逃げ出す季節なのである。
「夏休みは結構だけど、涼しいところへ宿題を抱えて行って、片づけるとよい。私もカステル。ガンドルフの別荘で、公会議の資料を読み続けるから」とヨハネ23世は言った。やはり、こうして開かれた公会議は、一会期ではなくて、3年間かかって4会期にひらかれた。
万能でない聖職者
宿題といえば、ヨハネ23世自身、仕事の合間に暇を見つけては、教会史の下調べを続けた。聖ペトロの星座にハタキをかけるという進歩的な発言ではあるが、彼野行うことは本来の伝統に対する尊敬によって裏付けられていた。古い本にもほこりがたまると悲惨だち行って、5世紀のレオ教皇や13世紀ノイノケンチウス3世について研究した。ソシテ過去について反省し、そこから汲み取った知恵をメモにした。
「聖職者は、almighty,オルマイティではない。余計な過保護ではいけない」と書きとめた。
公会議の『現代世界憲章』43番野中で、この教訓が実った。
「司牧者が何事にも精通していて、どのような問題についても、しかも10f代な事柄にも、即座に擬態的解決を持ち合わせているとか、それが彼らの使命であるというように考えてはならない」。