六甲教会説教箇条書き、枝の主日

 イエスは、馬に乗らず雌ロバ乗って都の入られる

 イエスとともにエルサレムへのぼる一行がいよいよ神殿あたりに近づきます。これは大げさなパレードではありません。立派な服装をして馬に乗って入城するローマの大将の華やかな行列ではありません。イエスは格好が悪いと言われそうなことをされます。ロバの子に乗られるのです。

 イエスのこの動作は意味ありげな行動で、予言的な示唆でも、ユーモアのともなう身振りでもあります。いや、権力者に対する皮肉でさえあると言えます。

 ロバというと預言者ゼカリヤ書の言葉を思い起こします。「エルサレムよ、喜び踊れ、歌声をあげよう。主が来られる。高ぶることなく、雌ロバののって来られる」(ゼカリヤ9,9参照)。ロバに乗るのは貧しい人、馬に乗っているのは権力者や金持ちです。平和をもたらし、「平和の君」と呼ばれるイエスはロバに乗り、「戦車と軍馬を絶つ」(ゼカリヤ9,10参照)。馬は権力の記し、家柄のしるし、利益のしるし...

 この福音に照らして私たちは現代の社会における教会の在り方を再検討したいものです。
私たちの教会は「ロバ乗るイエス」と「馬に乗る偉人」とでは、どちらのイメージに似ているのでしょうか。

(このことを信徒総会や種々の委員会で「予算」、「設備」、「再建築」などを検討するとき念頭においておきたい。特に、裕福な地域と裕福な世帯からの方が通う小教区ではこの反省が必要ではないでしょうか)。