安楽死とカトリック教会の公式見解

       安楽殺人、安楽死尊厳死


 前回の記事について多くの質問をメールで受けたので、手短にわかりやすく述べて誤解を避けたい。
 次の三つの異なったことを区別する必要がある。
 1)安楽殺人事件mercy killing)、
 2)法的にある国で認められている安楽死、(legal euthanasia 3)尊厳死(death with dignity)

 1)安楽殺人事件。痛みで悩んでいる人をかわいそうだと思って、本人の意思と尊厳を無視して死に至らせることである。これは安楽殺人事件で、刑法で犯罪として扱われる。作為によって行われてもと不作為によって行われても殺人である。

 2)法的な安楽死。ホランダなどのような国の法律で認められているもので、患者からの繰り返された依頼に応じて法律で定められた条件(同意の資格、意思の確認、法律上の手続き、他の医師の相談等。。。)を踏まえた上で、医師の手によって患者にしに至らせること。

 3)尊厳死。患者の意思やその尊厳を大切にするためにこそ延命医療を打ち切ることや必要な限りの苦痛緩和処置をつかうことである。その結果として死期が早まったとしても、それは「患者を殺す意図」で行われるものでもなければ、「患者の尊厳を無視して」行われるのでもない。むしろ患者を大切にしたいからこそ、そうするのである。

 注:「死なせる」というあいまいな表現に対して要注意。

 尊厳死の場合「死んでほしいから死に至らせる」のではなく、「自然に死ぬに負かせ、死を平和のうちに迎えるように寄り添って看取るのである」。
 
 たびたび生じる誤解は、前述の三番目に上げた「尊厳死」のことを一番目に上げた「不作為による安楽殺人事件とまちがえて同一視ることである。

 カトリック教会の公式な見解として教皇庁は「安楽死に対する反対の発言」を行うとき、前述の1と2を対象にしている。 しかし、3番目で述べたことは、もっとも伝統的なカトリック倫理神学で昔から当然みとめられている。

 残念ながら最近イタリアで新聞などをにぎわした「エルアナさん人為的栄養管中止」の件に関して教皇庁のロザノ枢機卿の失言があった。彼は「延命中止」のことは前述の1番目の殺人であるかのように捉えてしまった。

 日本の報道機関は場合によって前述の1、2、3を同じく「安楽死」という言葉であらわすので、尚、誤解が起こりやすい。

(詳細は拙著『いのちの哲学』教友社、2003)。