死刑廃止をもとめるカトリック

2009年1月29日

法務大臣 森 英介 殿

日本カトリック正義と平和協議会
死刑廃止をもとめる部会
部会長 ホアン・マシア

 日本カトリック正義と平和協議会死刑廃止をもとめる部会は、佐藤哲也さん(旧姓野村、39歳、名古屋拘置所)、川村幸也さん(44歳、名古屋拘置所)、西本正二郎さん(32歳、東京拘置所)、牧野正さん(58歳、福岡拘置所)に対する死刑執行に強く抗議します。
昨年は1年間で5回、合計15人に死刑が執行されました。法務省は、2ヶ月ごとの定期的な死刑執行を定着させようとしています。私たちは、このような形でいのちが奪われ続けることに、深い悲しみと怒りをおぼえます。

 私たちはこれまで、死刑の執行停止を繰り返し強く訴えてきました。それは、「死刑は何も解決しない」と考えるからです。「死に死をもって報いる」死刑は、社会に暴力的メッセージを発するものであり、犯罪の抑止にはつながりません。また、「国家の名において、第三者である刑務官の手を汚して行われる」死刑が、被害者遺族の真の癒しにつながるとも思えません。

 私たちは、死刑によって加害者が永久に社会から排除されることで、「正義が行われた、問題はすべて解決した」と安心したいのかもしれません。しかし、私たちはそれによって、かえって加害者が罪を犯した社会背景や、被害者遺族が一生負い続ける心理的・社会的困難から、目を背けているのではないでしょうか。
私たちが死刑の執行停止を訴えるのは、決して「机上の空論」ではありません。むしろ、被害者と共にあって被害者の苦しみを受けとめ、加害者と共にあって加害者の更生を支えることこそ、キリスト者のあるべき姿だと考えているのです。死刑という制度は、このようなキリスト教的生き方と対極にあります。

 日本カトリック司教団は、『いのちへのまなざし』(2001年)でこう述べています。「またここで、死刑をもって一人の人間を決定的に裁いてしまうことは、わたしたち人間の成熟への道を閉ざしてしまうものであることも、指摘したいと思います…犯罪者をゆるし、その悔い改めの道を彼らとともに歩む社会になってこそ国家の真の成熟があると、わたしたちは信じるものです」(70)
国連人権委員会も「市民的・政治的権利に関する国際規約に基づく日本政府報告審査への最終見解」(2008年10月30日)で、「世論のいかんにかかわらず、日本政府は死刑廃止を前向きに検討し、必要なら死刑廃止が望ましいことを国民に知らせるべきである」(16)と勧告しています。私たちは、日本政府がただちに死刑執行を停止し、死刑廃止を真剣に検討して、真に成熟した国家への道を歩みはじめるよう、強く求めます。