インフルエンザ過剰反応に惑わされないように

   六甲教会の閉鎖を嘆き、恥ずかしく思う

 この一週間のあいだ、教会が閉鎖していたことが悲しいことで、理解に苦しむ。

 店も映画館もあいていた。電車も走っていた。しかし、教会の前を通ると、鉄の門まで閉めてあった。なんと情けないこと。

 「ミサの義務は免状される」と言うことが言われていた。しかし。ミサへの参加は義務ではなく、権利だ。

 『開かれた場』になっているはずの教会は、感染に対するそのような過度な反応をしたことは本当に情けないことだと思う。信徒にも、回りの社会にも、もうしわけないと思う。

 インフルエンザについての過剰な情報に対して過度な反応をして惑されないように皆さんに訴えたい。

 全世界で一年間に600万人の子供が栄養不足で死んでいるのに、第一世界の政治家たちは大した心配もしていないようだし、大した援助の対策も捕っていない。それと比べれば、今の感染に対する余計な心配は何と偽善的なもののように思われてならない。

 尚、感染についてどこでも話題にする間、誰も世界経済危機や政治危機や政権交代の必要性などについて話さない。人々を何かの恐怖によって統治しやすくすることがあるが、こんなに簡単に国民が操られるのを見て驚いている。

 皆さん、報道の仕方によってまどわされずに、疑問をもっていただきたい。政治的・経済的利害関係もいろいろこの感染騒ぎの背後にあるので簡単にはその騒ぎの波の乗せられないように注意したい。

 せめて教会だけは目覚めているだろうと思ったら一週間の間閉鎖していました。本当に情けないことで、さびしくて、悲しいことです。どうか一日も早くこの大げさな反応をやめてもらって今度の日曜日にご昇天の祝いを典礼で祝いましょう。