経管栄養と延命(つづく、3)

       経管栄養と延命(つづく、4)

       論争を巻き起こした教皇演説

 2003年の三月に教皇ヨハネ・パウロ2世行った演説は大きな論争を引き起こした。その演説の直接の宛先はバチカン・生命アカデミーと世界医師会連盟であった。演説の前半は患者の尊厳を強調し、どの人間でもかけがえのないものであり、どんな病気や年齢の者であっても、平等に扱われるべきであり、その命は最初から最後まで守られるべきであると言う。そこまでは異論がないだろうが、後半には人工栄養の問題に触れ、どんな場合でも、最後までそれを用いることは通常の治療であると述べてしまったので、伝統的なカトリックの医療倫理に詳しい者を驚かせた。

 その年のヘースティングセンター・レポート七月号には、倫理神学者シャンノンの反論が載せられた。もちろん、単なる学会への短い挨拶の文であるから、教皇文書と言ってもそれほど大きな重みのものだとは言い得ないし、問題となった文章はその挨拶の受取手であったバチカン・生命アカデミー福総長スグレチア師自身の発表とあまりにも似た言葉であり、彼自身が教皇演説の草案を書いたと思われても不思議ではない。

 シャンノンが指摘するように、延命法としての人工的栄養をどんな場合でも使い続けるということは、先ず伝統的な教会の教えと神学からは言えないことである。

 なお、そうした指針をそのままカトリック病院で守ろうと思えば、欧米の多くのところで国の法律とぶつかることになり、裁判に訴えられる恐れさえあると言う。
この論争が起こった時、私自身がつとめている研究所でカトリックの施設から意見を求められたが、誤解を避けるために教皇自身の言葉を使って、例の演説よりももっと権威のある回章から引用することにした。そこで教皇は、はっきりと安楽死とは違う「過剰医療の制限」を認めているからである。
事実、現在の病院の状況を見れば無責任な安楽死に対する恐れよりも、過剰医療のエスカレーションが恐れられると思う。