教皇フランシスコ回勅『ラウダート。シ、主に賛美』 (つづく、第3章、101番〜104番)


第三章

人間における生態学的な危機の根幹

101. 人間における生態学的な危機の起源を認めることなく、徴候を記述するだけでは役に立たないでしょう。人生と人間の行動に関する現実に合わない歪められた理解の仕方があります。その目で現実を見れば、現実に害を加えることになります。一歩とどまって考えてみましょう。今ここで次の点に争点をあわせて考察しましょう。つまり、世界における人間と、その行動の位置を考え、それを脅かしている「技術万能・技術優先の支配のパラダイム(考え方)」をみなおしてみたいと思います。

テクノロジーは創造力でもあれば、権力でもあります。

102. 人類は新しい時代に入りました。技術万能・技術優の先支配のパラダイムはわれわれを難しい選択しの十字路に立たせています。われわれは、200年以上続いた巨大な社会変化の波のうねりにのってきました。たとえば、蒸気発動機、鉄道、電報、電気、自動車、飛行機、化学工業、現代医療、情報テクノロジーと、より最近、デジタル革命(ロボティックス、諸生物学的なバイオテクノロジーと微小工学など)があげられます。

これらの技術発展を喜んで受け入れ、私たちの前に開かれる数々の利用の可能性をありがたがって、「科学とテクノロジーは、神から与えられた人間の創造力の素晴らしい所産です」と言うのも当然です。[81]  利用価値を持つ目標のために自然に手を加え、自然を変えることは最初のころからの人類の特徴でした。技術は「徐々に物質的な制約を超えようとしている人間の精神の活力を現しております」。[82]
 テクノロジーは人間を傷つけ、われわれに制限付ける多くの悪を避けることができました。特に医学の分野、エンジニアリングと通信において、技術の進歩を評価し、それを感謝しないでいられないでしょう。さらに、持続可能な開発のために代案を提起して貢献した多くの科学技術者の努力を認めないわけにはいきません。

103.正しく方向付けられた科学技術は人の生活の質を高める便利なものを生産することができ、役に立つ家電製品からすばらしい交通機関や橋や建物に至るまでまたは公共のくつろぎの場などを作ります。それで、芸術を生み出すこともできて、物的世界に没頭している人間は美しさの世界に「跳び込む」ようにすることもできます。航空機や摩天楼の美しさを否定する者はいないでしょう。価値ある芸術作品と音楽は、新技術で作られることもあります。そのように、新しい技術的な器具を使って美の表現をこころざす人においても、そのような美しさの感想を味わう人においても、大躍進は起こり、充実した人間性に向かって生きるようになります。

104. しかし、原子力エネルギーやバイオテクノロジーや情報テクノロジーや我々のDNAについての知識と我々が身につけた多くの他の能力が我々に相当な力を与えたことも認めなければなりません。より正確に言えば、知識とその利用、特に、経済資源を供えている者がその利用をもって人類と全世界に対する大変な支配力を発揮することができると言うことをわすれてはなりません。人類は自分自身に対してそれほどの大きな勢力をもったことはいまだかつてなかったのです。

しかしその力を正しく使う保章がありません。人間は、はたして責任をもってよい方向にその力の行使をもっていけるでしょうか。特に、現在どのように人類がその勢力を使っているかを見たら、なおこの疑問が高まるでしょう。20世紀の中ごろに落とされた核爆弾または、現代の戦争が利用できる武器のますます致命的な備蓄は言うまでもなく、何百万人も殺すために、ナチズム、共産主義と他の全体主義体制が使用したテクノロジーの記録について考えましょう。誰の手がこのような武器を使用するでしょうか。または誰の手になっていくでしょうか。人類のわずか一部がそれを握っているということはかなり危険だと言わなければなりません。