教皇フランシスコ回勅『ラウダート・シ、主に賛美』(つづく、89番〜96番)

普遍的な一致


89.
この世界の被贓物は、所有者のないものではありません。「彼らはあなたのものです、神よ、あなたがいのちの友」(Wis 11:26)。そこにわれわれの信念がもとづきます。我々はみな同じ唯一の父なる神から作られた者であり、見えない結びつきによってつながっております。我々は皆一つの普遍的な家族です...

90. これは、すべての生きている存在も同じレベルに置くということを意味しません。人間のユニークな価値と相当な責任を忘れたくありません。なお、地球を神聖化もしたくありません。神聖化してしまったら地球と協力し、地球のもろさを守ることができなくいなるのです...

91. 我々の心に優しさ、同情と我々の仲間の人間に対する関心が欠如していれば、自然との深い交わりの感覚も沸いてこないはずです。人身売買に無関心であり、また貧しい者について無関心なままになっており、あるいは不必要であると考えられるもう一人の人間を滅ぼすことを平気に認めているのに、絶滅の危機にある動物の種をまもるために戦うことは明らかに矛盾しています...

92. さらに、我々の心が普遍的な一致に開かれているとき、この友愛からは何も誰も除外されえません... すべてのものはつながっております。そして我々人間は素晴らしい巡礼をともにしており、いっしょに歩んでいる兄弟と姉妹として結びつけられております。

われわれをむすびつけるのは各被造物に対する神の愛であって、その愛はわれわれをも強大なる太陽、兄弟なる川、姉妹なる月、姉妹なる土とむすびつけております。

財の共通な使用目標

93. 信者か信者でないかを問わずに、地球は我々の共通な遺産であることに一致しています。その実りは皆のためにならなければなりません。信徒の立場から言えばこの信念が神に対する誠実に基づきます。神が皆のための世界を作ったからです。したがって生態学的な問題提起は社会的な観点を欠かせないし、特に一番排除されがちな人の基本権を考慮にいれなければなりません...

94. 富める者と貧しい者には、等しい尊厳があります、「主は、両者を作られた」。格言22,2)「彼自身は、小いもの、大きものも作りました」(知恵 6:7)、そして、「彼は、太陽を悪人の上にも、」(マタイ5:45)。

95. 自然環境は、公的な利益(全人類の財産と皆の責任でも)です。我々が何かを我々自身のものにするならば、それはすべてのためにそれを管理するだけであることになっています。そうしないならば、我々は良心に他の存在を否定した重さで負担をかけます...

イエズスのまなざし

96. イエスは創造主に対する聖書の信仰を自分の者にします。そして、基本的な真実を強調しました:神は、父です(マタイ11:25)。彼の弟子と話す際に、イエスは、神には彼のすべての生きものと父の関係を認めようと彼らを誘います。

優しく、彼に、彼らの各自が神の目の前に重要であると思い出させます「5羽のスズメは、2ペニーで売られませんか?そして、彼らのうちの1人は、神の前に忘れられません」(ルカ 12:6)。「空気の鳥を見てください:彼らは種をまきもしなく、刈りもしません、また、納屋に集まらないでくださいが、あなたの天国のような父は彼らを養います」(マタイ6:26)。