種まく人 年間15主日

今日のミサのテーマは、「耳を持てる人は聴け」、「汝らの目は幸いなり、見ゆればなり、汝らの耳も幸いなり、聞こゆればなり」という言葉です。「耳のる者は聴いて、心にくりかえせ。聞く耳、見る目こそしあわせ。聞く耳、見る目を持つことができますように願って感謝の祭儀を差さげましょう。

「天から雨が降り、地をうるおす」。厳しい暑さの夏の午後、急に激しく降り出す夕立、雨が止んだあと、香を感じ、いちじくの木の下で夕涼みをたのしむイザヤ預言者はこの言葉を思い起こすのです。「天から雨が降り、地を潤す。神の口から出る言葉も、むなしく神のもとに戻らないように」と…

これは今日私たちの心を潤す聖書の言葉です。イザヤのこの文句は福音書のたとえ話に合わせてわたしたちの信仰の心を呼び起こします。

福音書では種まきにたとえてイエス神の国の到来を語られます。「種を蒔く人は種まきに出ていった。蒔かれた種はよい土地に落ち、天から雨がふり、種が割れて、新しい命が芽生え、実を結びます」。

たとえ話の締めくくりの言葉は大事です。「聞く耳のある者、聞く気のある者は聴きなさい…あなたたちの目は神からの力をいただいている。見えているのだから。見えているのだから幸いです。あなたたちの耳もそうだ。聞こえているのだから。聞こえているのだから、幸いです。あなたたちはその目で見ているから幸せ、その耳で聞いているから幸せだ」とおっしゃいます。

聞き手に向かって、弟子たちに向かて、そしてまた私たちに向かってイエスはおっしゃいます、「あなたたちはよい土地です、皆例外なく、あなたたちは皆もともとよい土地です、その土地に神様はすでに種を蒔き、天から雨を送り、その土地をうるおしています。実を結ぶでしょう。種の形で、雨の形で、神の国は常に到来しつつあります」。

このようにイエスはおっしゃいます。このこと、この出来事に私たちは気がついているのでしょうか。もうすでに神の国が来ている、神様の働きが実を結ぼうとしていることに気が付いているのでしょうか。聞く耳を持ち、見る目を持つと言うことは、この神の働きに気がつくことですよ。信じるということは気がつくことどあり、気が付くことは幸いです。このように、イエスは信じることの幸せとのつながりを語られます。

自分がよい土地であること、その土地に神からの種が蒔かれたこと、天からの雨で潤されたことに気が付くように私たちは今日の福音によって招かれています。幸せの種が自分の中にもすべての人の中にもすでに蒔かれてことに気が付いたら幸せになれます。すべての人の中にも種が蒔かれていることに気がついたら、相手の中にある神の国の到来を認め、相手に中にもキリストの現存を拝むことができるようになります。どうか、自分の中にも、相手の中にも、すでに到来し始めている神の国を見る目、聞く耳、信じる心を育てることができますようにお祈りいたしましょう。