l教皇フランシスコ、『福音の喜び』

『福音の喜び』 の紹介

―教会の刷新を求める教皇フランシスコの七つの提言―


 祝福するまえに祝福を受ける教皇フランシスコ

「ハベムスパパン(habemus Papam)」すなわち、「教皇が生まれました」。この告げ知らせにつづいて聖座のバルコニーに出たフランシスコの最初の型破りの預言的な言葉と身振りが教会を目覚めさせました。荘厳なベネヂクチオ(祝福)を待っていた人々に、教皇はまず自分が祝福を民のつどいから受けたいと言い、そのために沈黙のひとときを持ち、神から祝福を受けようと皆を祈りへと招きました。この大切な祈りの沈黙こそ、教会と世界を回心と改革に目覚めさせる原点になるのではないんでしょうか。

教皇フランシスコの思い

2013年3月19日の就任後のインタビューに答えた教皇フランシスコは、その率直さのために注目され、大きな反響をよんでいます。しかし教会の刷新をとなえる教皇は、さまざまな改革をはやく求める急進派の矛盾も指摘しています。「教皇一人で改革をすれば、従来の権威主義と中央主権主義の延長になり、真の改革にはならない」と言っています。それぞれの地域の教会からの声を聞き、その提案と計画を受け入れながら教会を導きたい教皇は、2014年の十月に開催予定の世界司教特別会議の準備として質問集を各教会宛てに送りました。「むかし自分が目上の役職を務めた時、権威主義的なやり方で失敗したことから学んだ」と語るフランシスコです。

意見の多様性を尊重し、兄弟姉妹の一致をたもちたいとも主張し、教会は「一部の〈熱心なエリート〉の団体ではなく、皆にとって憩いの場〈わが家〉になっているはずである」とも言っておられます。

ゆるしの秘跡について聞かれて、「告解所は裁判所でもなければ、警察庁でもなく、癒しの場である」と答えました。司教と司祭にはこう勧める。「官僚気質の役人ではなく、羊との接触によって〈その匂いがしみ込んでいる〉牧者になりなさい」と仰います。

福音を述べるとき、「人を裁くのではなく、人を救うために希望を告げたい」と願う教皇は、福音朗読の後で語られる言葉は、「道徳主義と教理主義にこだわる〈説教〉よりも、真のホミリー(homily)すなわち〈福音からの励まし〉になるように戒めています。

教皇になった気持ちについて、「私は教皇の見習いだと最初から感じたが、教皇はあくまでも見習い・学びあう人にならなければならないとつくづく実感する」と言われました。

水曜日のお告げの際、教皇が語る一言が世界中のマスコミに見出しを提供し続けています。

「教会は常に改革すべし... 神はゆるすことには飽きないし、うむことなく慈しむ… 主任司祭は教会の所有者ではなく、奉仕者である…私は貧しい人の貧しい教会を夢みている…宗教指導者たちは、すべての問題の解答をもち合せていると思ってはならない...疑問をもって道を探し求めることを学ぼう…神を見出すには雲の上で探すな...神は生活の中で発見される…目的地に到達しきっているつもりの保守派も急進派も誤った熱狂心に流される…疑いの伴わない信仰はあやしい...教会とは民の集い全体で、位階制度の指導層だけではない…」などの思い切った発言は全世界の教会を揺さぶっているこのごろです。

使徒的勧告『福音の喜び』

去年11月26日に教皇使徒的勧告『福音の喜び』を発表しました。その中で、2012年10月に開催された世界代表司教会議の成果と提言を取り入れながら、教皇自信の口ぶりらしい調子で、次の七つの提言をし、次の七つのキーワードに要約できる刷新のためのプログラムを謳っています。1)福音の喜び、教会の改革 2)宣教の挑戦、宣教者の試練 3)教会、神の民、宣教の主人公 4)み言葉を中心に 5)貧しい人、小さい人 6)平和野建設、社会野対話 7)聖霊の導き、霊性の深み

では、これから教皇のこの勧告にみる「七つの要点」を紹介したいと思いますが、教会自信の言葉で勧告の狙いとその内容の展開を伺いましょう。

「私たちに時のしるしをわきえるように教えてくださる聖霊に耳を傾けて、2012年10月7日から28日まで世界司教会議13通常総会が開催された。そのテーマは信仰伝達のための新しい福音宣教であった。その場で思い起こされた通り、新しい福音宣教は私たち全てが招かれており、主に三つの領域において実行される。 第一に、通常の司牧の領域である。そこで、「聖霊の火によって生かされた司牧は定期的に共同体の集いに参加し、主の日に、み言葉と命のパンによって養われる信徒のこころを燃え立たせようとする」 。この司牧の分野では定期的に礼拝に参加はしなくとも、強くて誠実なカトリック信仰を保ち、さまざまな形でそれを表す信徒も含まれる。この司牧は、信徒の成長をめざし、彼らがますますその生活全体を持って神の愛に対して答えられるように方向づけられている。第二の領域は、「洗礼の約束の要請に従って生きていない受洗者」である。  彼らは心から教会への帰属感をもってはいないし、信仰の慰めを経験しているわけでもないが、教会は、いつも気遣う母親として、彼らが回心し、信仰の喜びと福音との関わり合いを取り戻すように願っている。第三の領域としてイエス・キリストを知らない者またはイエス・キリストを拒否した者に福音を述べ伝えることと根本的につながる福音宣教があげられる。その中の多くの人々(キリスト教の伝統がある国々においても)は、ひそかに神の顔に憧れて神を求めるのである。彼らは皆福音を受容する権利がある。キリスト者たちは、誰も排斥することなく、福音を述べ伝える義務をもっているが、その伝え方は新しい義務を人に押し付けるような方法ではなく、喜びを分かち合い、美しい地平を示し、誰もが望む宴にまねく伝え方になっているはずである。教会は無理な勧誘によってではなく、「人を引き付ける」ことによって成長するのである」。  (14番)

教皇ヨハネ・パウロ2世が思い起こして下さったとおり、キリストから離れている者に対して「福音を告げ知らせる関心を保ち続ける必要があり」、これは「教会の優先課題である」 。福音宣教活動は「現代においても教会にとって最高の挑戦」であり、 「福音宣教の課題は教会最高の優先課題になるべきである」 。これらの言葉を重く受けとめてはどうであろうか。そうすれば福音宣教に出かけていくことは教会のあらゆる活動の典型であることを認めることになるであろう。この線で、ラテン・アメリカの司教たちは、「もはやわたしたちは受け身の態勢で教会の中に人がくるのをただ待っているわけにはいかない」のであり、 「単なる現状維持を目的とした司牧から積極的に宣教的な司牧へ」移らなければならない」と主張した。 この課題は教会にとって最大の喜びの泉であり続ける。「悔い改める一人の罪びとのためには、悔い改めの必要のない九九人の正しい人のためよりも、天においては大きな喜びがあるであろう」(ルカ15,7)。(15番)

「わたしは、司教会議の参加者から依頼されたこの勧告を出すことをよろこんで引き受けた。 このことを引き受けたことによって司教会議の仕事の収穫を集めることになる。さらに、多くの人々と相談したうえで、現在の具体的な時点で教会の宣教活動における関心事を表そうとした。現代世界における福音宣教について取り上げると考えられる課題は数えきれないほどであるが、今ここで、もっと注意深い研究を必要とする多くの問題を細かく取り扱わないことにした。なお、教会と世界に影響を及ぼすすべての問題に対して決定的で完全な解答を教皇の教導職から期待すべきではないと思う。それぞれの地域において問いかけられる様々な問題についての識別は地域司教に代わって教皇がすることが適切ではない。この意味で私は健全な「脱・中央主権主義」(descentralización)に発展させる必要を感じる」。(16番)。

「ここでは教会全体を熱意と活力に満ちた宣教の新しい段階へとはげまし、方向付けるための提唱に留まることにした。その枠組みの中で、第二バチカン公会議の『教会憲章』の教えに基づいて次の課題をとりあげることにした。1)常に自己から出ていく教会の改革 2)司牧者が陥りやすい誘惑 3)福音宣教する神の民全体としての教会。4)福音を語る説教の仕方 5)貧しい人々を排除しない社会 6)平和と社会的な対話 7)福音宣教の課題の霊的な動機づけ」。(17番)

「これらの課題を取り上げるに当たって長すぎると思われるような展開をした。しかしまとまった論説を提供するつもりはなかった。ただ現代教会の課題にこれらのことがどんなに重要であるかを実際に示したかったのである。ここで取り上げているあらゆることを通して言いたかったことは一つである。つまり、どのような活動に関してもある特定の福音宣教のあり方を示したかった。このようにして日常の関わり方においてみ言葉からの勧めに耳を傾けたいものである。「主において常に喜びなさい。繰り返して言うが、よろこびなさい」(Philip 4,4)」。(18番)
以上は教皇自信のことばの引用文でこの勧告の七つの要点を羽化はいました。勧告の全文を読むときこの七つの要点を念頭に置いておきたいと思いますが、勧告の目次およびその五つの章をその七つの提言の枠組みに位置付けて次のように勧告の輪郭を整理しておきましょう

七つの提言

1.福音の喜び、教会の改革。(勧告の序文と第一章「教会の宣教的な変革」,nn.1-49,参照)

福音の喜びから出発し、出動体制にいる教会。福音宣教。福音が伝わるように自己から出ていく教会の改革。教会は福音宣教あっての共同体であり、世界の福音化に向かって常に〈出動体制に生きる〉キリスト者の共同体である。すべての信者にとって、自分の人生で体験したイエスの喜びを新しい熱意をもって他の人々に告げるのは、キリスト者の使命であり、福音宣教の中核である。

2.宣教の挑戦 (勧告の第2章、nn. 52-75参照)。宣教者の試練(勧告の第一章第2部、nn.76-109)。

現代社会の挑戦 、教会の改革、創造力と大胆さをもった刷新が必要とされているが、そのためにはより福音宣教的になる教会の構造改革が求められる。必要以上の中央集権制、聖職者中心主義などを見直し、地方教会の貢献を活かすと共に、男女の信徒が平等に役割を担うべきである。教会の扉を開き、断罪の場ではなく、神の慈しみが体験される場になることが望まれる。

信者が「誤った安全保障感を与える構造」や「厳しい裁きに向かいがちな法規」や「身の安全を感じさせる慣習」に「閉じこもる」ことなく、変化を恐れない教会を求めて行こうと教皇が主張し、また、各国の司教会議には、教義決定の実権を含む法的地位を付与されるべきであるとまで示唆している。

宣教者・司牧者の試練。司牧者の回心が伴う司牧活動。司牧者の誘惑。初心に帰り、若返る司牧者。

3.教会、神の民、宣教の主人公。(勧告の第3章、nn.111-134参照)。

 福音化は教会全体の課題。神の民として世界を旅する教会。福音宣教する神の民のつどいとしての教会。

4.み言葉を中心に。(勧告の第3章、「福音の告知」、nn.135-175)。

神の言葉によって養われ、生かされる教会。説教について。福音を語る説教の仕方聖書の読み方について。霊的同伴(伝授入門、相談、助言など)について。

5.貧しい人ビト、小さき人びと。(勧告の第4章の1部と2部、「福音の社会的次元」、nn.177-216参照)。

貧しい人々を排除しない社会。排除された人びとの解放。社会被害者の解放。「教会は預言的な声」で、「声なき者の声」になるべきであり、「貧しい人のための、貧しい教会」を夢みていると教皇は言い、「強者の論理」が勝る現在の経済システムを根本から正しくないということを訴え、切捨られ、排除される人々への関心をもつようにと、政治家や教会共同体に呼びかけている。未出生の胎児の擁護及び貧困者の擁護は表裏一体の問題であるとも言う。

 現在の経済システムを批判、「使い捨て文化」の矛盾は、ローマ外の二度目のイタリア旅行で、フランシスコが9月22日にサルディニア島を訪れ、失業問題と環境問題の重要性を強調し、社会的福音を説く教皇としてのイメージを強化した。「人間の正統な発展には、職が保証されねばならない」と教皇は言い、職と人間の尊厳とは密接に交錯されていると主張した。



6.平和の建設、社会の対話。(勧告の第4章、3部と4部、nn.238-258 参照)。
平和と正義のある社会の建設。憎みと軋轢のあるところに平和とおもいやりの種を蒔く聖フランシスコの精神を生きる教皇フランシスコは、諸分化と諸宗教の対話と出会いによって世界平和の建設にかかわることは福音宣教の課題と切っても切れない関係にあると断言する。教皇は他のキリスト教教会、また諸宗教、そして無宗教の人々との対話を促しており、特に今日においてイスラム教との対話を、非常に大きな重要性を持つものとして注目されるのに大大きな関心を示しておられる。イスラム伝統国でキリスト教徒の信仰の自由が守られると共に、欧米においてイスラム教徒がその自由を享受できるようにと希望されている。

7.聖霊の導き、霊性の深み。(勧告の第5章、「聖霊に満たされた福音宣教者」、nn.262-288参照)。

福音宣教の課題の霊的な動機づけ。神秘の泉。