Humor y Evangelio en el Año dela Fe (9): GIro de timón.舵の切り替え

バチカンでの昇給

バチカンの廊下で電線が故障した。従業員がはしごに上がって直していた。そのとき「ああご苦労さん」という声が聞こえて、振り返った従業員は、驚きのあまりはしごから落ちそうになった。声の主は教皇であった。真っ白なスータンに包まれてはいてもヨハネ23世の親しみ深い笑い顔は彼を落ち着かせた。「奥さんは元気か」、「あなたは子供がいるの」、「月給はいくら。。。」

次から次へと教皇から質問が連発される。

それからしばらくして1959年6月のこと、教皇野命令で教皇庁従業員の給料は25パーセント〜40パーセントの幅でアップになった。「ブレーンの仕事も大二じゃないかな?とある枢機卿は首をかしげた。そのとき教皇は言われた。「だけど、あなたは4人の子を育てる苦労はないんでしょう」。
こういった精神野ヨハネ23世は、教会に新しい空気を入れるために、第二バチカン公会議(1962・1965年)を招集し、『地上野平和』という回勅を善意あるすべての人あてに出し、「波紋の時代から対話の時代へと舵を切り替えることに成功した教皇なのである。

公会議でのもめごと

『現代世界憲章』(20)は、無神論に対する立場を明確にしたが、特定の主義を、いわゆる糾弾はしなかった。

第二バチカン公会議に出席した司教のうち2千人を上回る大多数は糾弾回避に賛成した。共産主義糾弾声明を求めたのは334名であった。その中で297名はしめきりまでに修正案を提出した。

ところが手続きのミスでこの修正案提出者は二人だけだと議事録に記録された。このことを指摘された記録係は、赤恥をかき、穴があれば入りたいという思いをした。報道機関はこれを大げさに取り上げ、450名ほどの相当多数の反対者がいると伝えた。1965年11月15日、あらたにその箇所が討論されたとき、ガロネ大司教は行った。「神のない人間を見て教会は悲しむが、教会の文書を読む無神論者が、教会はその人を人間として愛していることをわかってくれるように文書をかいたいものだ」と。

結果として、また圧倒的な大多数で『現代世界憲章』が可決され、名ざしの糾弾声明に、こだわりつづけたのは、わずか220名だった。彼らの修正案がとりあげられないのは、可決された文書の趣旨にそぐわないからだ、との説明がなされた。

彼ら野酋長野一面を取り入れる意味で、注にマルキシズムイデオロギーに対する意見を明確に述べている教会の従来の公文書野引用が羅列されることになった。ただし波紋するという方法をとった1949年7月1日の教令は当然省かれた。なぜならそれを載せてしまえば可決された本文の趣旨にそぐわないからである。

以上のデータはラッつィンガー教授(現在現教皇)が書いた公会議解説からとった。彼はこれを書いた時点で言ったように、「波紋という武器を使う時代はもう過ぎ去った。それよりも、公会議のこの箇所によって教会が反省させられていることの方が大事である」と。

あれから五十年たった今思うのだが、共産主義の糾弾声明を名指しで『現代世界憲章』の中に盛り込まず、圧倒的大多数の要望に終えて対話野精神を貫いたのは、公会議野プラスの遺産だとも言えよう。