No agobiéis 重荷をおわせるな (Mt 11,30)

No agobiéis 重荷をおわせるな

「私のくびきは負いやすく、私の荷は軽い」とイエスは言います(マタイ11、30)。他のところで、宗教指導者たちに向かってこう言います「自分で背負えない重荷を人の背中に載せるな」 (マタイ 23,4 参照)。
 イエスが説いた教えは重荷になるはずはない。イエスは明るい信仰の持ち方を勧めた。「花婿が一緒にいるあいだ悲しむわけにはいかない」(マタイ9,15)。 イエスは重荷を背負っているものにやすらぎを与えようとしたが、自分で背負えない荷を人に負わせる者を厳しく戒めた。
 イエスは、神の怒りではなく恵みを伝えた。その教えこそ「よい知らせ」(good news)、福音で、それを聞いて私たちは、希望と喜びを受け取ることができるのである。私したちがキリストの教えを述べるとき、それを聞く人々が希望と喜びを感じないで、かえって恐怖心にさいなまれることになってしまえば、それは、私たちが伝えていることがキリストの福音ではないからであろう。
 イエスは重荷ではなく、よい知らせとなる希望の教えを力説した。だからその教えは、重荷になるはずはない。ヨハネの第一の手紙では、「その掟は重荷になるはずはない」と言われている(一ヨハネ5、3)。私たちが伝える教えが人々の重荷になっているとすれば、教え方が福音から離れてしまったからであろう。重荷になれば、それは福音ではない。なぜなら、それでは「よい知らせ」にはならないからである。
 福音に基づいた教え方の刷新のために、法律よりも恵みを、禁止条項より私たちを生かすキリストの息吹(聖霊)、キリストのいのちを中心にしなければならないのである。そのような明るい信仰の持ち方と信仰の伝え方を身に付けたいものだ。

 En tiempo de Jesús no existía el Barómetro Continuo de Confianza Institucional de Metroscopia, que ordena a más de cincuenta instituciones y grupos sociales en función del grado de confianza que infunden. Si hubiera existido, seguro que la jerarquía eclesiástica del Sanedrín habría quedado en bajísimo lugar en las encuestas de opinión. También Jesús los criticó y se enfrentó con aquel estilo de religión establecida que dominaba, imponía cargas que ellos mismos no podían llevar, cansaba y agobiaba al pueblo con su adoctrinamiento y los ataba con su ley.
El mensaje de Jesús, por el contrario, es: aliviad cargas, desatad nudos de muerte y estrechad lazos de vida.