臓器移植法案を見直してほしい

 移植法改定に関する法案の拙速な衆院通過(6月18日)に対して懸念を表し、参院での見直しに期待したい。以下の点を念頭において考えていただきたい。  

1. 世界的な規模で、医療不足と過剰医療といった両極端が注目される中で、 臓器移植は独特な医療である。患者を助ける医療の開発を支持すると同時に人間と医療の限界も認め、死を見つめることから逃避したくない。臓器器の提供は、他者を助けるための行為にはなりうるが、それは「倫理的に認められる方法で実施される」ときにかぎる。
2. 生体移植と死体からの移植は条件が違うけれども、共通な点として次の確認の必要性があげられる:安全性、効果、提供者の意思と受容者への影響、家族への配慮。
3. 死体からの臓器移植を倫理的に行うに当たって次の条件がある:イ)提供者の死の確認、ロ)提供者の生前の意思、ハ)遺族の同意、に)受容者の安全性、ホ)予測できる効果、ヘ)利害関係なしの公平な分配、ト)遺体への畏敬
4. 人間の体は機械でもなければ、臓器もまた部品ではない。「脳死状態」というものと「人間の死」とを区別すべきである。脳死状態は医学的に確かめられた生命機能喪失の兆候にすぎない。脳死状態の身体をモノ扱いしてはいけない。臓器摘出が認められた場合でも、遺族への配慮も脳死状態の身体への畏敬も欠かせない。
5. 「死の判定」における次の点を念頭におきたい:A)生物学的な死の定義(生命個体の代謝の不可逆的な停止・有機的統合体としての固体の死)、B)臨床的な診断:イ)三兆候で確認すること、ロ)機械的な延命処置につながれた患者で、除外項目に適さない場合、その頭脳の不可逆的な破壊を確認すること、C)法律的な判定の手続き(死亡診断書)、D)精神的・社会的な死の受け入れ方(悼むこと、弔うことの重要なこと)。
6. 以上の諸視点から考えた場合、「生物学的な意味での固体の死」と「一人の人間の死、を区別すべきであり、「人の死」は多数決できめられるものではない。人間としての死には社会的な面もあって悼む・弔う過程も大事である。
7. 脳死状態における移植の容認のため提供者の尊厳を傷つけないこととその意思を尊重することと、本人の生前の意思またはその代理承諾者の同意が欠かせない。脳死状態に陥った者が臓器提供者カードをもっていても、救命医療を怠ることなく、脳死状態の確認がない限り移植への過程を始めるべきではない。提供者に対する救命医療と受容者に対する移植医療を区別し、受容者中心の医療によって提供者の医療がおろそかにされてはならない。
9. 看取っていた家族にとってその人の息が止まった後も、大切な時である。遺体に畏敬を表わしながら、その死を厳粛に受け止めるという死の受容も遺族にとって時間がかかることであろう。
10. 現代社会における人間の見方について考える必要があり、教育の場と報道機関を通して倫理の物差しを考える必要がある。生と死を見つめない文化の在り方と科学技術の一人歩きによって操られている現代文明について反省を行い、「病人よりも病気だけを見、人間全体よりもその肉体的・生物学的な次元だけを重視してしまい、臓器を部品のように扱い、人の体を資源とみなし、人をモノ扱いする」現代科学技術文明が孕んでいる矛盾に気がつくようにしたいものである。