五種類の暴力
福音書講座 マルコ5、1-20
マルコ5、1−20 を読むためのヒント:
この箇所は文学形式として「奇跡物語」・「悪魔祓い物語」ですが、その根底にある史的事実は、正確に言えば、いわゆる「奇跡」でもなければ、いわゆる「悪魔払い」でもありません。
この箇所は、イエスの生き方と教えにもとづいた福音の説き方であり、それにともなう社会批判としても読めます。
次の五つの暴力について考えたい:
1. 占領軍の暴力、抑圧者の暴力
2. 社会的な差別による暴力、異常と思われるものに対する暴力
3. 心理的な自己嫌悪による自分自身に対する暴力
4. 暴動を起す非抑圧者の暴力、奴隷状態にいる
人々の反逆運動による暴力
5. 経済制度の在り方による暴力
中心的な一節は5、15節です。「あの人が服を着て、正気ですわっていた」。この一節をマルコ5章に出てくるその他の二つの「癒しの話」と結びついていることに気づきましょう。
5、34参照:「信仰を持って歩みを起したことが、あなたを救ったのです」。
5、41参照:「たちあがりなさい」。
マルコ5章に出てくるこの三つの話し(ゲラさ出の癒しと、出血病の女性のいやしと、ヤイロの娘のいやし)は「人間解放の話し」と「社会批判の話し」として読めます。
人間が自分に立ち返り、自己を取り戻し、解放されること。
社会の中で抑圧されている人々が解放されること。
これこそイエスが望み、イエスが説きますが、抑圧者の側からの暴力にも非抑圧者の側からの暴力にも加担しないイエスです。
従っていつの時代にも両側から反対されて、両側にとって躓きになるわけです。