教皇フランシスコ回勅『ラウダート シ、主に賛美、Laudato si』 (続く、4章、143−146)

エコロジーと文化

143.自然の遺産があると同様に、脅かされている歴史的・芸術的・文化的な遺産もあります。この遺産は、その地域の共有アイデンティティの一部であり、その場所に住むのに適した都市を築き上げる基盤でもあります。[環境都調和しているすみやすい年をつくるために]必要とされているのは、いわゆる<よりエコロジー的な都市>を建てることではありません。そうした<エコロジー的な新都市は必ずしも住みやすいとはかぎりません。それよりも、必要なのは各々の場所の歴史、文化と建築の伝統を取り入れ、その地域の文化上のアイデンティテxを大切にしてその遺産を保つことです。

要するに、エコロジーは、その広い意味でとらえられば、人類の文化上の遺産を保護することを含めます。したがって環境問題に関する諸問題を検討する際、地域の伝統文化に留意する民族の見方と科学技術的な考え方とに対話させ、互いに影響し合うようにしなければならないでしょう。

ちなみに、ここで文化と言うとき、過去から受け継がれた重要建造物などを指しているだけではなく、生き生きしたものとしての文化、人びとが生活でその活力に参加する文化です。その文化こそ人間と環境との関係を見直すとき考慮に入れたいものです。

144.大量消費を中心にする人間観は、国際化された経済のメカニズムによって促進させられて、諸文化を画一化し、全人類の遺産である文化のゆたかな多様性を弱めています。行政の均一な規則または技術的な干渉によってすべての問題を解決しようとする傾向が強まり、コミュニティのすべてのメンバーの活発な参加を要求する地域社会の複雑な問題への注意がおろそかにされがちです。[社会づくりへの]新しいプロセスは、外側から押し付けられる枠組みの中ではなく、地域文化[とつながって]生じるべきでしょう。

生命と世界が活力をもつ現実であると同じように、環境世界に対する我々のケアーもまた柔軟性をもって[状況に適応する能力で]動的なものでなければなりません。単に技術的な解決は、対症療法に終わってしまいがちですが、徴候を見ることに留まらず、根底にある問題の原因に目を向けなければなりません。

民族と文化の権利を尊重して、その立場から考えて初めて特定の社会グループの歴史的過程を理解しすることができましょう。その開発は文化内の背景を前提にし、文化的な前後関係の範囲内で起こり、各文化内の地域の人びとが主人公となってはじめて恒常的で活発な参加を要求する歴史のプロセスを前提にして認める必要があります。「生活の質」という概念さえも、無理強いすることができません。生活の質のために、特定の共同体の枠内にその共同体に特有なシンボルと慣習の世界が理解されます。

145. 環境搾取と環境悪化の多くの形態は、その地域の資源にとって致命的だったばかりでなく、、長い間、人生と共存とコミュニティの意味および文化的なアイデンティティを形づくった社会構造を脅かしています。深刻であるか、動物や植物の種が消失するよりも、特定の文化の喪失のほうがさらに深刻でありうるのです。生産の一つの形とつながった特定のライフスタイルの強制は、生態系を変えるのと同じくらい有害でありえます。

146. この意味で、先住民のコミュニティと彼らの文化的な伝統に特別なケアを示すことが重要です。特に土地に影響を及ぼしている大きなプロジェクトが提案されるとき、彼らはその中に単に少数派だけでなく、主要な対話のパートナーでなければなりません。彼らにとって、土地は、必需品であるというよりも、神からのたまものであり、その土地で先祖がほうむられており、彼らのアイデンティティを維持することとつながるものであり、彼らがその場と交流する必要がある神聖なスペースです。

彼らがその地域に住み続けるとき、彼ら自身がその土地を一番大切にするものです。それでも、世界のいろいろな地域において、自然と文化の退廃にかまわず引き受けられる農業または鉱業プロジェクトのためにその土地の先住民が祖国を去らざるを得ず、その地域の文化も自然も悪化するようになります。