教皇フランシスコ回勅『ラウダート・シ、主に賛美』(つづく23-26)

教皇フランシスコ回勅『ラウダート・シ、主に賛美』(つづく23-26)

共有財産としての気候

23. 気候は、共有財産(皆に属していて、皆のためのものの)です。世界的な規模で、気候は、人の生命の重要な条件の多くとの関連がある複雑なシステムです。我々が現在気候的なシステムの不穏な温暖化を目撃していることを、科学的なコンセンサスで示されています。ここ数十年間、この温暖化には海面の増大が付いてきました。

そして、科学的に決定できる原因が各々の特定の現象に割り当てられることができないとしても、異常気象イベントの増加によってその現象が現れます。それ現状を悪化させる温暖化の原因はすくなくとも一部に人間にあります。それと戦うために、人類がライフスタイル、生産と消費の変更の必要があります。他の要因(火山活動、地球の軌道と軸における変化、ソーラー周期など)がありますが、ここ数十年間の大部分の地球温暖化が人間の活動の結果として主に放たれる温室効果ガス(二酸化炭素、メタン、窒素酸化物その他)の大きな集中によることを、いくつかの科学的研究は示しています。

空気に集中して、これらのガスは、地球によって反射される太陽の光線の暖かさがスペースで分散するのを妨げます。化石燃料の集中的な使用に基づく発展のモデルで、問題は悪化します。そして、それは世界的なエネルギー・システムの中心にあります。もう一つの決定している要因は、土地(主に農業目的のための森林伐採)の変更利用法の増加でした。


24. 温暖化は、炭素サイクルに影響を及ぼします。それはより状況さえ悪化させる悪循環をつくります。そして、飲料水(より暖かい地方のエネルギーと農業生産)のような必須の資源の入手可能性に影響を及ぼして、地球の生物多様性の一部の絶滅に至ります。凍った有機材料の分解が二酸化炭素の排出をさらに増やすことができる間、極地の氷冠の、そして、高い高度平野での溶解はメタンガスの危険な放出につながることができます。気候変動を軽くするのを助ける熱帯雨林の損失によって状況が悪化します。

二酸化炭素汚染は海の酸性化を増やして、海の食物連鎖を危うくします。現在の傾向が続くならば、我々全員のための深刻な結果で、今世紀は異常な気候変動と生態系の先例のない破壊の舞台になるでしょう。4分の1の世界の住民が沿岸で、または、近くに生きる。そして、大部分の百万都市が沿岸地域に位置していると我々が考えるならば、海面の増大のためとても深刻な状況が生じることができます。


25. 気候変動は重大な問題(環境上、社会上、経済・政治上、社会正義上)を含む地球規模の大きな挑戦を人類に投げかけます。その最悪の影響は、来たる数十年に発展途上国において感じられるでしょう。特に温暖化に関連した現象に影響を受ける地域に、貧しい者の多くは住んでいます。彼らは生存手段は主に自然の蓄えと生態系のサービス(例えば農業、釣りと林業)に依存しています。彼らは気候変動に適応し、天災に直面することができるための他のいかなる財政的な活動または資源もありません。

そして、社会福祉の支援と保護への彼らの接近は非常に制限されてます。たとえば、気候の変化に適応できない動植物は移住させられますが、これは、いちばん貧しい者の生産力に影響をあたえます。その人びとは自分の家を出ることを強制され、彼らとそのこどもたちの将来について不安が付きまといます。環境劣化による貧困から逃げようとしている移住者の数が増大しますが、彼らは、国際条約によって難民と認められずにどんな法的保護でも享受することなく、辛い生活を強いられています。悲しいことに、そのような苦しみに対する広範囲にわたる無関心があります。

そして、世界中、至る所でそのような悲劇が起こっています。私たちのこれらの兄弟・姉妹のドラマに対する無関心は市民社会の基盤である隣人に対する責任の欠如を表しています。


26. より多くの資源と経済的・政治的な力を備えている人々の大部分は問題を覆い隠したり、徴候をごまかしたりして、単に気候変動の悪影響のいくらかを減らすためにすぎない対策だけをとります。しかし、生産と消費の現在のモデルを変えないかぎり、そのような影響が悪化し続けるに決まっています。これから数年で、化石燃料の代わりに、再生可能エネルギーの資源を開発し、二酸化炭素と汚染しやすいガスの排出を減らすための政策を展開することは緊急な課題です。

世界中、きれいで再生可能なエネルギーへの使用が少ないです。なお、十分な貯蔵テクノロジーを開発する必要があります。数カ国ではかなり有意義な発展がみられますが、中々足りません。

原料素材をより少なく必要とし、エネルギーを少なく消費する生産と運送の手段の開発に投資することもあれば、エネルギー利用を節約する建設の方法や建物の修繕を試することもありますが、これらの試みは十分に定着しておりません。