第二バチカン公会議の50周年 〜その4〜ベネディクト16世の悩み

ベネディクト16世の板挟み

 教皇ベネディクト16世は、「多くの問題に揺るがされている現代世界にあって、教会を統治するための肉体と精神の力が...最近の数か月に衰え、私にゆだねられた奉仕職を果たすことができない」と退任表明したとき、二種類の反応があった。「ショックを受けた」とか、「無謀」とか、「理解できない」などと言う人もいたが、「勇気のある決断」とか「歴史を造る決断」とか、「感心と感謝」という評価も多かった。教皇は「さよならの最後の謁見」で明らかにした通り、「自由にしかも熟慮の上、教会のために教皇職を交代すべきである」と判断された。

神学者ラッチンガーが著した『第二バチカン公会議のハイライト』(1966年)で「カトリック性(catholicity)をラテン語と同一視してはならない」と述べ、典礼憲章による礼拝のあり方の刷新こそ教会観を新たにする「先見の灯り」であると主張していた。しかし教皇の立場となったベネディクト16世は、2007年にラテン語のミサに関する自発教令をもって、伝統に憧れる保守的な信徒の念願に答えようとした。ここ五十年間「未来からの要請」と「伝統へのこだわり」との間に挟まれてきたベネディクトだったのではなかろうか。
公会議のころラッチンガーはキュング、スキレベック、ラーナ、コンガールなどの神学者たちとともに司教たちの顧問として名が知られた。彼は教会の未来を見抜いていたが、後に教理省の長官の立場にいた24年間、多くの現代神学者に対して断罪の通告をするようになり、たびたび「教義へのこだわり」と「現代の理解」のあいだに板挟みになって困ったに違いない。
聖職者の未成年者への性的虐待問題とバチカン銀行関係の汚職問題で教皇が相当悩んだことがあるが、なによりもベネディクトが嘆いたのは「聖職者における権力への渇望と教皇庁内部における権力争い」である。二〇〇五年に晩年のヨハネ・パウロにかわって聖金曜日の「十字架の道行」の祈りを司式したラッチンガー枢機卿は「教会内部で掃除を必要とする汚職」に言及し、教皇になっった後、枢機卿たち宛ての演説で「教会組織の関係者における出世への欲望」をいさめた。ベネディクトは退任直前にあらためて「教会役職において自己中心主義や内部対立や権力志向」をいさめた。



教皇が、思慮の上に決断し、退任表明をする前は、その情報はだれにも漏れなかった。「ショックを受けた」とか「おどろいた」とか「そんなことはありえない」とコメントした側近のある「おえら方」が前もってわかったとすればおそらくやめないように止めただろうと予測できる。前任者が衰えた最後の十年間、側近の間にかなり醜い権力争いがみられ、教会の運営は危機に陥った。最近、バチカン内部情報の漏えい事件(秘密文書をジャーナリストに流したという通称「バチリークス」Vatileaks事件)に関する審査報告を受けた教皇には「人にして慮りなければ、必ず近き憂い有り」という論語の名言が浮かんできたかもしれない。

年齢の限界をみとめたら、職を交代すべきだということをかねてから教皇ベネディクト自身はほのめかしたことがある。前イエズス会の総長コルベンバフ神父は退任したかった時、ヨハネ・パウロ2世がそれを認めようとはしなかったが、ベネディクトが教皇になった直後、イエズス会の総長交代を認めた。ベネディクト自身は2009年にセレスチノ教皇の墓を訪ねて、十三世紀に退任したこの教皇に供え物として自分のpallium(マントローマ)を供えた。二〇一〇年に新聞記者のインタビューに答え、教会法に言及しながら「教皇が体力的、精神的、心理的に重要な務めを果たせないと自覚した場合、辞任する権利、時には義務がある」と述べたことがある。
退任表明の文の中で教皇は「ローマの司教とペトロの後継者」と言う呼び方でご自分のことを指し、「キリストの代理」(vicarius)という言葉づかいを避けた。教会法学者オルシー(Orsy)が指摘するように、「キリストの代理」という呼び方はすべての司教について使えるのであり、教皇だけのために使われ始めたのは12世紀からできた儀礼で、神学的には正確ではない。

パウロ六世は退任する手紙まで一応準備していたが、けっきょく教皇は修身職でなけらばならないと言われて側近から止められた。ヨハネ・パウロは1994年に退任の可能性について聞かれたとき「名誉教皇といった立場の者をバチカンのなかで一体どこにおくと言うのか」と答えた。

「過去へのあこがれ」と「未来への刷新」、「教理へのこだわり」と「現代の要請」のあいだに板挟みに生きつづけたベネディクト16世は、長年の伝統と教義への肩よりを超えて教皇の座から降りた。そうすることによってその板挟みから救われたと同時に教会のために未来への刷新の道を切り開いたとも言えよう。

ベネディクトの退任表明に関してマスコミは様々な国語で「退位」に当たる用語をもちいたが、「交代」といったほうが適切に思われる。他の司教と同じようにローマの司教にも任期があり、交代することがあっても差し支えない。ベネディクトが淡々として後継者との交代に譲ることによって教皇の奉仕職の非神聖化を行ったとも言えよう。この決断こそ従来の板挟みを超えて彼の人生の中で最高の「先見の灯り」だったのではなかろうか。

ところで、この原稿を書き終わっている今(3月4日)、新教皇を選出するためにローマに集まっている枢機卿たちはコンクラーベの下準備の数日の会議をはじめたところである。ベネディクトが直面した前述の板挟みには枢機卿たちも直面していることを察知できる。どのようにそれと向き合うのだろうか。第二バチカン公会議以降の教会と現代世界との対話をさらに促進させる「先見の灯り」に照らされて必要な改革の路線を選択する自信と勇気をもって決断するだろうか。過去に憧れて19世紀の教会への回帰を求める復興主義者の路線を回避することができるだろうか。全世界の信徒は新教皇が生まれることを待ち望みながらその選出にかかわるコンクラーベ聖霊に導かれるように祈りつづけている。