クリスマスに死刑廃止を呼びかけます。Abolid la pena de muerte.

償えないのを償いたい祈り

人から物を奪ったら返さなければならない。返せなかったら、お金で弁償して、つぐなうでしょう。

ところが、かけがえのない人の命を奪ったら、取り返しのつかない。弁償しても死んだ人が蘇らないのです。

そこで、犯人に向かって「死ね」と人が言うかもしれないが、償いたい犯人が自殺して世間の怒りをなだめたとしても、被害者の命が取り戻せないのです。

償いたいのに償えないということに犯人が気づいてはじめて心から謝り、ゆるしを祈り求めることができるのですが、償えないこと、ゆるしがたいことは、いったい、だれがゆるすのでしょうか。イエス様が教えた神の慈しみに委ねる以外にゆるしようがありません。

良い人の上にも悪い人の上にも雨を送る(マタイ福音書5、45)神の慈悲にまかせて犯人の回心と社会の癒しを求めたいものです。

死刑執行せずに、懺悔と回心、いやしとゆるしあいの機会を与え、更正の可能性に見切りをつけたくないのです。

国家の手によって死刑執行が行われてしまえば、改心と癒しの機会が奪われ、暴力の連鎖を断ち切ることができなくなります。

悪に対して善を返す(ローマ書 12,17−21)ことによって暴力の連鎖を断ち切りましょう。どうか、殺人も死刑も、戦争も、すべての暴力もない世の中を作れるように祈りましょう。

(以上は12月19日に日比谷公会堂で行われたフォラム90の集会での宗教者ネット代表からのメッセージ)。


2010年12月24日

内閣総理大臣 菅 直人殿

仙谷由人法務大臣殿

死刑判決に反対し、裁判員制度の見直しを求める

 私たち日本カトリック正義と平和協議会死刑廃止を求める部会は、2010年11月16日横浜地裁での死刑判決、11月25日仙台地裁での少年に対する死刑判決、12月7日宮崎地裁での死刑判決等、裁判員裁判による死刑判決の報に接しあらためて、死刑制度に反対し、裁判員裁判からの死刑相当事件の除外を要求します。

私たちは、裁判員裁判によって死刑を宣告された3人のうち仙台地裁宮崎地裁の2人は、19歳、22歳と社会的に見ても若く、更生できると考えます。弁護側は「考え方を正せる年齢」であり、「犯罪とは無縁の生活だった」と述べ、更生の可能性があるとして、死刑回避を求めています。

 近年、犯罪と残虐性の低年齢化が著しいと言われています。しかし、どのような罪を犯した者であったとしても、人はその生涯において悔悟の念を持ち、真に改心し人生を全うしうる可能性をもっていると私たちは信じています。厳罰で社会の秩序を維持するのではなく、犯罪を生みださない社会の構築こそが必要だと考えます。

 私たちカトリック教会には「人を殺してはいけない」という教えがあります。その教えに従えば、死刑もまた、法律に従った刑罰であったとしても、「人を殺す」ことには変わりありません。日本のカトリック教会は裁判員裁判の開始にあたり、「死刑判決に関与するかもしれないなどの理由から良心的に拒否したい、という方もいるかもしれません。わたしたちはこのような良心的拒否をしようとする方の立場をも尊重します」と良心的拒否の姿勢を容認する声明を出しました。一般市民が裁判員裁判において死刑の判決を選択しなければならない事態は、市民に「人を殺させる」ことに導くことであり絶対に避けなければなりません。

冤罪が多発し、司法制度を見直すべき時に来ています。冤罪を防ぐために「取り調べの全面可視化」が一日も早く求められます。また、死刑は加害者の家族にも被害者とその家族にも、さらに裁判員裁判であれば裁判員に選任された市民とその家族にも、一生心に重い負担を与えるのです。

私たちは一刻も早い「死刑制度の廃止」と「裁判員裁判からの死刑相当事件の除外」を含めた、裁判員裁判の見直しを強く求めます。

日本カトリック正義と平和協議会

死刑廃止を求める部会
部会長 ホアン・マシア

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ABOLIR LA PENA DE MUERTE (Llamamiento de las religiones unidas pro-derechos humanos, diciembre 19, en el Auditorio de Hibiya, en Tokyo, en la Asamblea del Foro 90 contra la pena de muerte) 

     El daño causado se repara con una compensación. Pero cuando el daño infligido es la muerte de una persona, el daño es irreparable.

      Las tradiciones vengativas anteriores al estado de derecho exigían al asesino que pagase con su propia muerte. Pero la pena de muerte a) no devuelve la vida al asesinado, b) no sirve para sanar el dolor de sus allegados, c) quita al agresor la posibilidad de arrepentirse y d) aumenta en la sociedad la espiral de violencia y el espíritu de venganza.

     Es increíble que países que presumen de civilizados como Japón y USA mantengan la pena de muerte.

     Cuando se juntan la oración del agresor、 que reconoce lo irreparable del mal、 y la oración de la víctima que reconoce la dificultad del perdón; cuando el primero dice "sufro porque quisiera reparar y no puedo", y cuando la víctima dice "sufro porque quisiera perdonar y no puedo", ambas oraciones juntas son acogidas por el único que puede reparar y perdonar incondicionalmente, el Dios Padre y Madre que hace llover y salir el sol sobre justos y pecadores (Mt 5,45) y enseña a devolver bien por mal (Rom 12, 17-21).

     En la asamblea del Foro cívico pro-abolición de la pena de muerte, el 19 de diciembre pasado, apelamos a la sociedad japonesa a desterrar de sí el espiritu de venganza, y a sus gobernantes y políticos a erradicar en este país la tortura policial para forzar confesiones, la falta de respeto a los derechos humanos por parte del ministerio fiscal, la resistencia a reconocer los errores judiciales y la manipulación mediática de la opinión pública en favor de la justicia vindicativa.

     Budistas, cristianos y otras religiones juntas, en unión con la ciudadanía defensora de los derechos humanos, hacemos un llamamiento en favor de una sociedad que corte la espiral de la violencia, sin guerra ni terror, sin asesinato de ninguna clase ni pena de muerte, sin escalada armamentista e incondicionalmente en favor de la paz y de la vida.