2009-02-01から1ヶ月間の記事一覧

過剰医療の拒否

延命とは文字通り「命を長引かせる」ことである。 現代の医療は著しく発達し、人為的な手段によって患者の命を長引かせることが相当可能になってきた。ところが、どんな場合でも、無理してでも延命をはかるべきかどうかについては議論が分かれる。なぜかとい…

経管栄養と延命(つづく、3)

経管栄養と延命(つづく、4) 論争を巻き起こした教皇演説 2003年の三月に教皇ヨハネ・パウロ2世行った演説は大きな論争を引き起こした。その演説の直接の宛先はバチカン・生命アカデミーと世界医師会連盟であった。演説の前半は患者の尊厳を強調し、…

 ワインと過剰医療

経管栄養と延命 (2) グラス・ワインをやめるのも飲むのも過剰医療になりうる 人は過剰医療という言葉を聞くと、複雑な機器とか、莫大な治療費がかかるなどと考えがちであるが、必ずしもそうではない。16世紀、カトリック倫理学者のヴィトリア(Vitoria 14…

経管栄養と延命 (1)

最近、ヨーロッパの新聞をにぎわしているエルアナさんの延命中止を評価したい。平安のうちに死を迎えることが出来てありがたい。残念ながらそのような尊厳死は「安楽殺人事件」とみなしてしまった数名のカトリック枢機卿と司教たちがいる。 その意見は倫理理…

安楽死とカトリック教会の公式見解

安楽殺人、安楽死、尊厳死 前回の記事について多くの質問をメールで受けたので、手短にわかりやすく述べて誤解を避けたい。 次の三つの異なったことを区別する必要がある。 1)安楽殺人事件mercy killing)、 2)法的にある国で認められている安楽死、(lega…

尊厳死は安楽殺人事件とは違う

六甲教会、説教箇条書き、09−02−08、年間第5主日、マルコ1,29−39 今日の福音には病人を癒すイエスの慈しみが述べられている。福音を伝える教会は病人の世話に関わる伝統をもっている。治療したり、苦痛緩和したり、死を迎える者に寄り添ったりすることは、…

「復活」とは「真・活」(真に生きること)である。

六甲教会、聖書研究会箇条書き、ヨハネ11章について(一年間分のまとめ、2009年2月2日)。1. 前回の復習 ラザロの「蘇りの話」は史実の記録ではなく、象徴的な物語を通して信仰を表すものであり、「史実の記録」や「事実の情報」よりも、「信仰の現実」に触…